きばっど なぜかというと R4.2.16
近頃、孫の口癖が「なぜかというと」である。彼は極度の寂しがりやらしい。母親はもちろん、大人がいなくなるとあちこち探す。この「心配になったりする」が、子供心にカッコ悪いと思うらしい。そこで、自分の行動にもっともらしい理由を考える。「寂しくてここで待っていた。」と言わずに、別の理由付けをする。その語り出しが「なぜかというと」である。論理的な説明を試み始めるのである。
「論理的思考力をつける」目標は低年齢から始めてもよいのかもしれない。現に、これは論理的思考から表現へ移行する芽生えと考えられる。この年頃から少し前に迷路にはまる時期がある。長男は理科の先生をやっているが、彼は小学校低学年で立体迷路づくりに凝っていた。ビ-玉を角柱の一番上の穴からころがしていく。この中には7層から8層の迷路が作られ、各階ごとに球をころがしながら下の階へ進んでいく仕組だ。ダンボ-ルや菓子箱を集めて、切ったりはったりで各階を作成していた。最終的には、一部が外からも見える立体の形になる。このように論理性の芽生えは低学年に始まるから、プログラミング学習をするのは好都合である。ただし、言語と言わず、トライ・アンド・エラ-で帰納的に学ばせて良いと思う。その後が大切で、「なぜかというと」を発表させたい。孫の話は聞くチャンスがあるが、長男には聞かなかったと思う。今更だが、悪いことをしたと反省している。
高校での小論文は主張を裏付けるために、根拠となる具体をあげることができなければならない。もちろん、自分の思い込みでなく、世間に認められたものである。自分に都合の良い「なぜかというと」をどう持ち出すのかが、論文の価値を左右する。たくさんの知識で裏付けられるがポイントだ。しかし、「なぜかというと」でいつも説明しようと努めると、そういう目で論文を読んだり、情報を集めたり、世の中をながめることになる。知識と出会う確率が高まる。
知識や考えを表出しないことには自分のものにならない。「屁理屈だから、黙っておけ」でなく、理屈を積極的に並べさせたい。俳句で力をつけるのは、「多作多捨 多読多聞」といわれる。論理的思考力育成も同じだ。毎日の生活をどう眺めるのかを大事にしたい。エジソンやファーブルは好きな物に会うと、寝食を忘れたという、幼児期はみんなそういう特質をもつ。天才のようにはいかないが、ちょっと立ち止まり、「ものの味方、考え方、自分はどうとらえたか」など周囲の大人が確認してやれば、育ち方が違ってくる。みんな違ってみんなよい。時間が許せば、ぜひ、その場でじっくりと聞いてやってほしい。論理的思考力の芽を大事にしてほしい。そういう対応をしてもらった体験は、いよいよ「学ぶ時代」になるとずいぶん違ったことになるだろう。
「なぜかというと」に耳を傾けて、その広がりを楽しみにしたい。 「なぜだというと」を大事にしたい。話題の「博士ちゃん」では、小学生が大人顔負けの知識や技能を見せる。まさに知識の平等化である。ネット検索さえできればだれでもが知の巨人になれる。他のものにたとえる司会の芦田愛菜ちゃんの表現は光る。知識を自分の言葉で表現できる愛菜ちゃん、博士ちゃん並みにすばらしい。