きばっど ただいま充電中 R4.2.04
休みの時期になると、「ただいま充電中」の特番が放映される。出川さんが電動バイクで日本各地をまわる旅番組だ。コロナで旅行がままならない中、この番組は清涼ドリンクに似ている。行った先々で、電気バイクのバッテリ-充電をお願いする。編集されているのだろうが、多くの人が快諾して充電が始まる。その間にそこで人と人の交流が始まる。「充電させて」の一言で新しい人間関係が始まる瞬間が、心の距離をぐっと縮めているようで見ていてほほえましい。
よく考えると、私たちもあちこちで心の充電をさせてもらっている。お礼も言わずによく生きている気がする。「千恩に生きる身、百恩を知れば、せめて一恩に報いん」を思い出す。恩についていろいろと考えさせられる。恩に生かされると言う意味はすぐにはピンとこない。しかし、こうやって、身もしらない土地でもお願いすれば、充電させてもらえるのは「恩」に違いない。まさに、百恩を知る瞬間だ。日常生活では知らず知らずに、いろいろな人のお世話になりながら生きている。まどみちおさんの詩を思い出す。(裏面参照)この詩にあるように、私たちは、まったく人と関わらないで生活することはできない。食べるものも着るもの、すべてだれかが作り出したものである。当たり前になっているだろうが、まさに「だれかに生かされている」と言えるだろう。その中で、お願いして充電をさせてもらえるは「知り得る恩」といえるに違いない。そういう恩の循環がわかったからには、「人としてその一つにでも報いたい」と考えるのは当然だ。恩の流れをこう考えると実にすっきりと心に入ってくる。
「すてきな言葉が人生をつくる」と、よく聞く話だが、どうして言葉で人生が変わるのだろうか。言葉は行動を意味づけするアイテムになりうる。うまくいかずに悩んでいる時は、「明日は明日のかぜが吹く」とか「ケセラセラ」と声かけられると、気分がずいぶん明るくなる。こういう言葉をかけてもらうと心の充電ができるのだ。「聞く耳をもたない、何をいってもむだ」という状況は、「今は電池切れで、充電が必要だ」と考えてあげよう。そんな時こそ、勇気を出して「充電させて」と言ってほしい。いい言葉、いい話が聞けるに違いない。
ふさぎこんだり、ふてくされたり、は、立ち直るまでの心の充電中と考えれば良い。明るく元気に暮らしたいと努めても、なかなかそうはいかない。気分が落ちて、充電中?生徒にもそんな場面がある。「元気を出せ」と声をかけてみるが、じっと待つも大切だ。よくよく考えるに、恩に生かされている実感がもてないと、人は孤独になるのだろう。心の電池の消耗が激しいのだろう。「信じて、頼って、充電させてもらう」とよいに決まっている。いろんな人からのいろいろな声かけがもらえる。自分は人と人との間に確かに存在することを感じ取れる。「強すぎず、弱すぎず、充電よろしく」と言ってみたい。さて、どんな恩や縁に巡り会うのだろうか。