「上善は水のごとし(最高の善は水のようなものである)」のあとに、その理由を「水は善く万物を利して争わず、衆人の 悪 にくむ所に処 おる(水は 万物 をうまく育むが、上に立とうとはしないで、人々が嫌がる低いところへと流れていく)」からだ、と述べてあります。
中学校の理科では水の三態を習うようです。よくよく考えると、人間は60パ-セントが水だから、水の三態が影響しないはずはないのです。もちろん、極寒の地では水は凍るし、熱するとお湯になる。人なら死んでしまうので、温める、冷やす程度で考えてみたい。
36.1の体温の人と36.5の人では、基礎代謝に差が出てくる。体温が高い人ほど、エネルギ-を消費することとなる。朝からラジオ体操をすると体温はあがる。ジョギングもそうだろう。体温がわずかに高いと順調に消費する。心の方もやはり36.5の人が温かいに決まっている。いつも上機嫌でいるには、適度な運動をして体温をあげるのがよい。とにかく、温めるのが一番手っ取り早いようだ。
最初の話にもどるが、水が濁らず、さらさらと流れるには、体温もだが、血液成分がサラサラでなくてはならない。水と油のたとえもあるが、60パ-セントが水の人間に過剰の油を与えるのはどう考えても相性がよいはずはない。取り過ぎはたぶんよくないと想像がつく。
水でできているから、水をコントロ-ルすることが心に良いと推測できる。つきあいも「水の如し」だし、いつまでもみずくさくなってはこまるだろう。病気が重篤になると、肺に水がたまり、多臓器不全に陥る。自分の体の水におぼれてしまうともいえる。生きるも死ぬも水ものなのかもしれない。「水のように生きようとする」理想には尊敬の念をはらいたい。どんな時にも水のように清らか生きたいものだ。 水くさい話にならないように、内容は濃いものがよさそうだが、浸透圧の関係でいくと、これもほどほどがよさそうだ。塩分が高いと血管を傷つけるし、腎臓の負担も重い。すべからくサラサラがよいのかもしれない。春の小川がなぜサラサラいくのかがやっとわかってきた。雪解けやわき水のイメ-ジがあり、難しく言えば「清冽」があてはるのだろう。清冽とはいかないまでも綺麗な血にこしたことはない。ドロドロ血の顕微鏡映像は何度見てもいただけない。これではドラキュラにも拒否されそうだ。夏場は十分な水分補給を心がけたい。水の話でこれだけ盛り上がるとは、60パ-セントが水でできた、水の惑星の住人なんだなあと納得してしまう。「水いらず」は困りもので、いつでも給水を心がけて今年の夏も乗り切りたいものだ。