常に英才たれ 山小屋に降る雨 2019.6.8
いつのころかは忘れたが。地学か何かの水の循環の話の続きで聞いたと記憶している。若い時の勇気ある選択は人生後半に大きな成果をもたらすという内容だ。水の循環と関係づけて話された理科の先生はすごい。その話はこうだ。ロッキ-山脈の頂上付近に登山者のための山小屋がある。何年も前からそこにあるのかさだかでない。その山小屋に降る雨を見ていてこう思ったと話は続く。
雨を見るこの人はわずか数センチの違いが実に大きな違いとなるのではないだろうかと思い当たる。左の屋根に落ちる雨粒はその屋根から左の屋根づたいに地面へと落ちていく。そのまま地下の覆水へしみこむ。そして、アメリカ大陸の内部の川へと流れていく。右も同じように滴り、地下へ、そして、サンフランシコのある西海岸の一つの川の水となる。実に壮大な話だ。
自分がこの雨粒だとしたら、若い日に自分が経験した選択に思い至ることがある。勇気を出して選択した進路が今の自分を作っている。あのとき、あの高校を選んだことが、あたかもこの雨粒のように大きなる違いになった。数センチの違いが数万キロの差になっていると考えたという話である。思うところ、有名な哲学者の随想をわれわれ高校生に紹介されたのだろう。
結論を急ごう。自分の決断が正しかった。自分は人と違う景色をたくさん見ることができた。それは自分の選択である。違う景色を見たことは自分の人間としての幅を広げたり、自己肯定感や自立心を育ててくれたと話は終わる。
もう一つ似たような話をしよう。ここに高価な宝石がある。仕事についたばかりの若い人は買いたくても買えないものだ。そこで2つの選択がある。ロ-ンを使ってでも買うという選択、今はお金がないので買わないという選択だ。ここでムリして買ってみよう。自分の給料の数カ月分くらいの買い物だ。大事にしないわけがない。当然、若い人はその宝石にふさわしい人になろうと努力することになる。服装や言葉遣いにも気を使い、自分を磨こうと努力もする。その人の生き方が変われば、どれほど高価な宝石よりもすばらしい。宝石への思いがその人を成長させてふさわしい人に育ててくれる。
これらの話は「未来への投資を大切にする」という教訓だ。一つのことに3年打ち込めば、それなりの成果がある。さらに打ち込めば、成果はもちろん、自分自身が変わったことがわかる。10年もすれば他の人に教えられるようなその道のプロになれる。まずは3年である。変われると信じてがんばれば本当に変わるから人は不思議だ。有名な詩の「僕の前に道はできる」はまんざらうそではない。1年生は育英館に来て2か月、変わった景色を見ただろうか。先輩たちと同じように、その景色を見ることで、人は変わっていける、成長していけることを信じてほしい。急には変われなくても君は必ず変わっていける。