人生は「残された時間」といってもよい。誕生から死に至る連続した時間は、刻一刻となくなっていく。しかもどれくらい残っているかはだれにも見えないのがやっかいだ。そこで、死ぬまでに○○しようと計画の立てようもない。
さて、時間とはなんだろう。中国の話だ。村はずれの寺でうとうとしていた男がどういうわけか。死神のひそひそ話を盗み聞いた。その話を短くまとめると、ろうそくの分だけの人生があり、そのろうそくは死神しかしらない所にあるという。男は死神の後をつけ、ろうそくのある場所にたどり着く。そこに多くのろうそくが勢いよく燃えている。自分のものはどれだと探してみると、今にも消えそうものが一本ある。これはまずいと近くのろうそくとすりかえた。これでおれは一安心と…ここで話が終わるとラッキ-な話なのだが、この後がこう続く。何年かが立ち、男は妻をめとり、子をなした。妻が病気になり、いよいよ危なくなった時、あのろうそくを思い出す。そして、死神の後をつけて、妻のろうそくを見つけ、そのあたりの一番勢いのあるものと変えてしまう。大喜びで帰ってきた男に、妻が悲しい顔をして言う。私たちの一人息子がたった今息を引き取ったの。あんなに元気だったのに…。昔もこれと同じことがあった。元気な自分の父が突然亡くなった。どうしてこんな不幸が続くのかしら。もう死んでしまいたい。男がその後どうしたか。だれも知らない。
決められたものが替わると悲劇を生む。残された時間は、必ずなくなるという点において皆に平等だ。いつまでも無限に生きるとすればそれはそれで大変だ。そして、死にたくても残された時間を省略できない。途中で投げ出すわけにいかない。悲しみや苦しさに耐えて、最後まで生きることになる。当たり前だが、ある意味、やっかいな時間とどう付き合えばよいのだろうか。卒業式ではかなり時間がゆっくりと流れる。そんな気がするのは年齢のせいか。エグザイルの定番卒業ソング「道」で考えてみよう。『思い出が 時間を止めた 今日の日を忘れるなと』の歌い出し、サビは『希望、夢、愛、勇気、友、笑顔』とエグザイルワ-ルドが広がる。単なる旅たちソングではなく、未来は明るい幸せ(希望)が待っていると…。これらの言葉の響きあいに目頭が熱くなる。「道」という曲は,「過去の出会いや日常の別れを当然のものとして受け止め,未来を前向き生きることを志向する」という平成の卒業ソングだ。「卒業」という時間を楽しむ明るさがある。「愛と優しさ教えてくれたね」「特別な時間をありがとう」と過去に感謝できているから,「希望」が必ず待ち受ける未来への新たな第一歩が踏み出せる。そう考えると,平成の卒業生が感じる「時間」を見事に代弁している。ここには、ろうそくをとりかえようなんて発想はない。「短くても長くても生きることこそ希望」というすがすがしさがある。日新公いろはうたの中にある「涼しかる」生き方に通じる。忙しい日常の時間の流れは別れの時、ゆったりと流れる。いくつになっても卒業式のある3月は、別れについていろいろなことを考えさせてくれるようだ。
空海の映画を見た。彼は日本に密教をもたらした天才僧侶である。かれがすごいのは、その実行力と幅広い知識だ。治水工事をしたとか、井戸を掘ったとか、彼が遣唐使として身につけたものは半端でないことがよくわかる。密教の神髄は曼陀羅図である。これは世界の有様を仏の諸相として一枚の絵として表す。こんなものを理解し、それを日本に持ち帰り、広めるなんてすごいの一言だ。今回の映画もその天才の空海だから描けるものである。
玄宗皇帝と楊貴妃との話は白楽天の長恨歌で多くの人が知っているだろう。その美しさゆえの幸福と悲劇を味わうのだが、楊貴妃は殺されずに日本に渡った話、阿倍仲麻呂が唐の宮中で重用された話