仰げば尊しと「感謝」
卒業式の時期になると「仰げば尊し」をくちずさむ。「今こそ別かれめ」という部分でつい力が入る。なにせ、別れようと決意する助動詞「む」だからである。
私たちの一生で、儀式的な行事は特別な瞬間でもある。ここから始まり、ここで終わる。入学式、結団式で始まり、卒業式、解散式で終わる。時間の中に生きる人間にとってこれは必然なのである。この式で出会い、ともに同じ時間を過ごし、仲間となるし、別れの式後は、二度と会えないこともある。個々の人間との出会いは偶然である。長い年月、共に生活すると別れがたい人になってしまう。なぜだろうか。
さて、「仰げば尊し」を解説しながら考えてみよう。1番は教師へ、2番で友人へ。3番は学び舎への感謝の気持ちをこめている。「教えの庭にも早幾年」と事実を歌い、「思えばいと疾しこの年月」ととても早く過ぎ去った年月を実感として表現する。この部分が大切で感傷に浸るのでなく、新たな一歩を踏み出そうとする意欲さえ感じられる。だから決別の思いを「別れめ」にこめ、「別れよう」の意味をはっきりさせる。そして、「いざ」と間投詞をおき、「いざゆかん」と同じ気持ちで「さらば」と続く。
2番は「互いに睦みし」でお互いに励ましあった友人を思い出す。「日頃の恩」は友人との日常でなにげなくされたり、したりした行為の中にも友情や恩を感じる。感謝を感じたり、知ったりする世界だ。別れの後でもけっして忘れてはならないと「忘するな」と禁止して、その上に「やよ」を使い、「けっして」と強める。お互いに助け合ったからこそ別れがたい人になるもわかる。
3番は「朝夕慣れにし学びの窓」は自分が学んだ学校への思いである。そして、中国の故事「蛍雪の功」を歌いこむ「蛍の灯、積む白雪」と続く。「貧乏なので油を買えず、夏には蛍を集めて灯りとし、冬には積もった雪を灯りとし、勉学に励んだ」という話である。だからこそ、「身を立て、名をあげ」て立派になろうと、がんばれるのです。その力は支えてくれた周りの人々への感謝なのです。「忘るる間ぞなきゆく年月」と続くところは、よく知られた「少年老い易く学成り難し」の世界を感じます。「歳月は待ってくれないよ 励まないと」という意味にとらえたい。報恩するためには、一刻も早く立派になって、先生や友人や地域に恩返しをしなさいと歌っている。簡単に言うと、「仰げば尊し」は感謝の3連発なのだ。
分かりにくいとか、合わないとか、この歌は次第に卒業式から遠ざかっている。
しかし、「感謝」の視点で見てみると、この歌のテ-マはイチロ-や本田圭祐が小学校6年の時書いた手紙の内容とよく似ている。どちらも「自分が世界で活躍できる選手になって、お世話になった人々を試合に招待したい」と書かれている。恩に報いるという意味で彼らの思いと同じだ。「仰げば尊し」をイチロ-や圭祐の思いで歌い直すと、改めて先生や友人や学校からの恩を感じたり、知ったりすることになるだろう。そして、彼らのように自分の精一杯の努力で夢を実現しようとなるかもしれない。
平成30年学園テ-マ「感謝」である。「ありがとうの声のあふれる学校」をめざして生徒たちと早速取り組んでいる。「感謝」のキ-ワ-ドをもとに、先生、友人、学校への恩を感じる力が高まれば、本物の「仰げば尊し」を歌うことになるに違いない。