部活動と勉強の両立を図るのは、中学・高校生にとっては永遠の課題である。しかし、自分の好きなことに時間をかけられるのは、大人になってからもごく一部の人に過ぎない。多くの人が本職と趣味、あるいは副業、勉強と両立するためにがんばっている。そう考えると、部活動と勉強の両立は未来の自分の生き方の練習だといえる。
ここで、大事なのは時間配分だ。生活時間と呼ばれる睡眠や食事、入浴やトイレなどを省き、残った時間をどうデザインするのかという問題になる。食事や入浴の間とか、よく見ると細切れの時間を活用していないことに気づく。生徒たちにこの気づきを経験させるには、日誌等で時間の使い方の記録をきちんとつけさせるとよい。金銭の使い方を小遣い帳につけさせられた思い出をもつ人もいるだろう。こだわると、いろいろなものが見えてくる。自分の反省点が浮き彫りになる。時間も同じで、どう使ったかを考えるだけでも、有効になるように時間を使おうとする意識が育つ。
また、時間はかけたが、学力がいっこうに向上しないのは、内容の問題だ。ひとつはスピ-ドであり、もう一つは正確さである。どちらもできればいうことはない。「あなたは勉強だけしていなさい」は世の中では通用しない。世の中に出たら、あれもこれもしなさいである。勉強したくても、許されない環境が山ほどある。
「若いうちの苦労は買ってでもせよ」という格言は、課題解決力の鍛錬を意味しているようだ。課題解決では、解決への見通し、解決の手段、手法などが身につく。当然、時間的にも厳しい中での解決となるだろう。無制限に時間をかけて解けるという状況は社会に出てからは存在しない。時間内にどうにかして終わらせることが優先だ。この体験は必ずどこかで形を変えて発揮されることになるから人生はおもしろい。
なによりもやりとげた自信が大切だ。「やりとげるとつよくなる」はまさにそのとおりだ。その意味では育英館には自己を鍛える環境がそろっている。学校行事はみんなが主人公になるぐらい一人一人の役割が大きい。授業場面では、教師と生徒の距離が近い。学校生活で手を抜く場面がない。どこでも一人一人が目立つから、教師や友人から声をかけられる。問題をつきつけられる。育英館を選ぶということは、そういう自分とつきあえるということだ。まさに「狭き門より入れ」である。
調べ見ると、「Enter by the narrow gate」と表現されている。これは聖書の言葉である。その部分の訳は、「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、これより入る者は多し。生命にいたる門は狭く、その路は細く、これを見出すものは少なし。」(聖書) となっている。「生命」とは自分のやりがい、生きがいとでも訳するとぴったりする。そこにたどりつくかどうかは、あなた次第なのだ。
「安易に流されず、チャレンジしつづけてこそ、自分の進むべき道は見つかる」とでも訳そう。人生は選ぶの連続であるから、この「狭き門より入れ」が大切なことなのかもしれない。ジイドの小説の題名でもある。生き方、在り方を考えると、この格言の重さがわかる。育英館をめざす生徒にぜひこう話したい。狭き門より入るために育英館を選ぼう。きみの生き方を変えるすばらしい出会いが君をきっと待っていると。