きばっど育英館 道徳と特別活動の必要性 H29.10.14
学級担任になると、教科の担当から自分の学級の授業への取組がよくないと聞くたびに、生徒への語りかけの時間がほしいと考えたものだった。担任として、1年間かけて学級を育てていくのだが、毎年、同じように指導を続けても学級には個性があり、思うように育たない。ある意味、なかなか大変だった。よく考えてみると、成長に合わせて、教師のかかわりも1年を通して変わる。3月になり、先生がいちいち指導するような学級は、成長したとは到底いえない。独り立ちできるように学級を育てたい。
まず、学級とのかかわりは4月の学級開きからスタ-トする。ここで、教師のねらいを学年の発達段階にあわせて伝えておきたい。最初から翌年の3月のゴ-ルの姿をしっかりと意識させることも必要だ。そのためには、年間指導計画に基づき、しっかりとやりとげることだ。特別活動の中にある学級の活動は、学校生活への適応や自分を見つめる進路学習、そして、よりよい学校生活をめざすという話合い等で構成されている。先ほどのように、朝や帰りの学級活動で担任の思いを語るのだが、発達段階やその時期でこれはどうしても必要であるというものを取り上げる。担任の適時の語りが横糸で、教材配列の指導が経糸だ。学級をよく見ている担任が、道徳、特別活動行う理由がそこにある。学級を見ていない担任では、ピントはずれの時間を指導してしまう。レクリエーションの名のもとに大切な道徳の時間が使われたこともあった。
学級活動が学校生活の充実を考えるとき、人生をよりよく生きるためには道徳的な価値はぜひ必要だ。価値を学習する上で、中学校時代は、第二成長期、疾風怒濤の時代、また、自我の発達等のどれをとっても最高のタイミングである。生徒は自分なりの価値観をもち、日々の行動を起こしている。しかし、その価値は稚拙だったり。弱かったり。また、一部を知るのみである。それでも、彼らは可能性に満ちた未熟者である。社会人として、健全な社会生活を送り、また、建設的な社会構成の一員なるには、現在の自分のもつ価値について気づき、考えることが大切である。自分の価値の脆弱さや偏りを自覚させること、そして、それを強化し、普遍的なものとしていくのが授業であり、特設された道徳の時間である。
徳目は24項目あるが、一律に扱うものではない。本校のように建学の精神あり、生徒指導の3本柱あり、という学校では、礼儀とか、心配りに関わる徳目は、その根拠や価値の強化で終ってよい。しかし、体育コ-スを含め、ライバルとしのぎけずる場合を想定すると、誠実、フェアプレイ、友情などは、試合前に教えておきたい。また、学級の雰囲気でいじめやからかいがおきやすいと感じれば、言葉づかいや思いやりから学級活動と道徳の両方で取り上げるべきだろう。具体的なアプロ-チをどのくらいするのかの知と情のバランスも担任が扱うから可能だ。
建学の精神の「道義」は、ぜひ、道徳の授業でも取り上げてほしい。人の生き方あり方を考える時、「道義に徹する」はすばらしい言葉だ。「道義」とは、「人としての道を行う」ことで、「徹する」と「これをひたすら守ろう」とすれば、人として恥ずかしくないは当然だ。道徳の中核である。