きばっど育英館 原口泉先生の話その2 H29.9.27
篤姫のことを研究したいと転学してきた女子生徒がいた。山口出身でテレビを見て篤姫にあこがれ、がまんできず、通っていた大学をやめて、親の反対を押し切っての途中からの入学である。テレビの力はすごい。私学の自由な雰囲気にあこがれたのかもしれない。大河ドラマ誘致は年に300件もの応募がある。その中で、鹿児島県関係は「翔ぶが如く」、「琉球の風」、「篤姫」と10年ごとに取り上げられている。他県の人から見ると、鹿児島は取り上げすぎだろうと思われても仕方ない。「西郷どん」が終わると、「篤姫」に負けじと、あこがれて入学する学生も増えるのだろうか。
そもそも、「篤姫」にはヒットするバックグランドがあった。映画の都、ハリウッドでも注目されるのは、「人柄、モラル、人格、道義」だ。その意味では「篤姫」はぴったりの女性だった。幕末を代表する女性といってもよい。戦いを避け、平和的な解決を図るために努力した。その生き方は世界中の人に受け入れられる。当然、ヒットする。今度の「西郷どん」にもその要素がある。ラストサムライなど、西郷について書かれたノベルも多い。彼はハリウッドが好きな日本人の代表だ。
ところで、田辺聖子さんも大西郷を書きたいと言っていた。作家の体力や意欲がぴったりとあった時に書かれるとよい作品になる。今回の林真理子さんは実によいタイミングだ。私もお手伝いのやり甲斐がある。西郷さんについての書籍の話だが、明治22年に恩赦があり、西郷隆盛の復権がなると、戊辰戦争の戦後処理でお世話になった山形の人々は南州翁遺訓を始めとする多くの書籍を出版した。それを無償で配布した。これが西郷の教えを全国に広めるきっかけとなったことも事実だ。大河ドラマの台本を読むとしゃべりたくなるが、守秘義務があるので、このぐらいでやめます。
明治維新は、リボル-ション(革命)と訳す。その後の廃藩置県も大きな変革である。明治維新は世界の五大革命に入るようなもので、西欧の力なしに東洋の国が成し遂げたすばらしい改革であった。アメリカ独立戦争は1776年である。アメリカは新しい国で、歴史を縄文時代から学ぶ日本とは大きな違いがある。それだけに南北戦争を詳しく学ぶことになる。その確執は国内を2つにわけて戦っただけに根深い。アメリカ人には西南戦争と南北戦争はかなり似たものととらえられるはずだ。鹿児島でも言えることだが、未だに確執がある。そんなところまで似ている。第2次世界大戦はついこの間のことなのに、昔の確執はなかなか捨てられないようだ。
大河ドラマ誘致の文章に書いた「明治維新の光と影の部分を見直し、これから進むべき道を考えていく」をこれから世界中に発信しようと考えている。その矢先に先日はサンパウロで講演する機会を得た。鹿児島県からの移住100周年の記念行事だ。アメリカの移民制限で、多くの移民が南アメリカに移住した。日本へのあこがれは強く、大河ドラマへの関心も深い。
さて、西郷どんの「どん」であるが、親しみをこめた呼び方で、多くの偉人の中でも珍しい。山口で「先生」と言えば、吉田松陰先生であり、他の呼び方は考えられない。メインになるキャストでもこんなにも取り扱いが違う。「どん」にこめられた人々の思いがどう反映されるのか楽しみに待っていてほしい。