きばっど育英館 ある日の授業 H29.6.16
道徳の授業はむずかしい。教師に成り立ての頃は、道徳的でない自分が教えられるのかな?と思いながら、一歩間違うと国語まがいの授業をやってきた。年間35時間を「ああでもない、こうでもない」とつぶやき、行き詰まり、今日の価値は「友情づくり」?と決め、クラスマッチ練習をしたりもした。特別活動とコラボして、「将来の夢と希望」という徳目?で、職場体験学習の事前指導もした。研究校では、道徳と特別活動を合体した「特道の時間」を提案してみたりと、道徳の時間で悩まなかった日はなかった。
道徳について、「これだ」と納得したのは、教頭になり、死を取り扱う教育について研究校で取り組んだ時だった。さすがに、生きる、死ぬを考えると、「崇高な」の世界を垣間見ることになり、他教科では扱えない部分を感じた。道徳を極めるには教師生活38年は短すぎたが、素直な感想を言うと未だにすっきりしない。
ひさしぶりに道徳の授業の話になった。思春期の女子3名が、お互いに距離をうまく保てず悩んでいる学級での話だ。国語の詩「夕焼け」を準備したのに、意識的に脱線した。「皆さんは人生のどこにいますか。」と黒板に数直線を書いた。「私がここです」と60歳の印をつけて、線の半分に30、そしてそれを3等分して10と20と書いた。その間15と書き、丸をした。そして、「校長先生はこれから」と線をぐいぐい伸ばしていき、100を書いて、笑いを誘った。「こうしてみると、みんなはまだまだ先が長いね。」さて、「先生は14歳の時のことを昨日のように思い出す。ところで、みんなは60歳の自分を思い出せるかな?」と聞くと、「むりむり、なったことないし」と笑いながら答える。授業の導入は成功したようだ。
「そうだよね。できないよね。」といって、絵本「ようちえんいやや」を読む。なぜ、この絵本を読むのか、いぶかしそうだが、笑いながら聞いている。絵本の内容は、お母さんと離れたくないばかりに、幼稚園生活に「いやや」という園児の話である。大笑いしながら、「いやや」と言った幼稚園の自分を懐かしがっている。「なぜ、笑うの?」と質問すると、「自分もそうだったから、あのころを思い出しておかしい。」振り返って考えると、あんなことで…と思えるものが多いのが人生なのだ。
「そうだね、14歳だから幼稚園のことを笑って思い出せる。みんなも30歳になり、40歳になり、その時に今を思い出すんだ。あんなことで悩んでいたなあと14歳の今を…」この絵本を見ながら、過去は未来の自分が意味づけすることを感じ取っている。
ここでなぜ人は悩むのか、なぜ気持ちをコントロ-ルできないのかを話した。脳の中には動物と、神様と、2つを取り持つ「心」が存在している。わがままでいうことを聞かない心を神様の心がコントロ-ルしようとしている。あまり強くコントロ-ルするとなにもかもやる気もなくなる。そこで、2つを調整する心が生まれ、発達していく。これらがうまく働くと人は安定する。心の仕組みを理解すれば、怒りや不満が生まれることも分かるし、それをどう解決するかもわかる。結局、答えは言わないままだった。しかし、表情を見ていると、彼女たちの学校生活も少しは楽になりそうだった。