きばっど育英館 わかりやすく、そして、ほめて H29.4.24
生徒の生活指導において、なかなかこちらの意図が伝わらない。育英館の生徒は公立の中高に比較するとかなりものわかりはよい方だと思う。それでも伝わらないことがある。以前勤務した学校で、「ちゃんとせんか」と服装がだらしない、教師への態度の悪い生徒を指導した。それを見ていた校長先生が、「『ちゃんと』という言葉の意味がわからない生徒に言っても無駄です。まずは、『ちゃんと』を教えることです。」と言われた。ズボンをさげない、教師の話には正面をむいて聞くという具合である。確かに生徒もこう言えばなにかしらの反応をする。本当に教えられていないことが問題なのである。生徒の立場から言えば、わからない行動はできない話だ。「ちゃんと」は、これから学校生活を営むという小学生の話だ。しかし、教えないわけにはいかない。学校にあがる前に身についておかないといけない、歯磨き、トイレ、食事などとほぼ同じだ。服装や態度についても目的にあわせて「ちゃんと」することができるなければ、生活できない。「ちゃんと」はしつけの世界の入り口である。
しつけはしつけ糸からの発想なので、後できれいにとることが前提である。しつけ糸は正確に縫うために形を整えておくことから考え出された。教育現場でのしつけは、一斉に指導し、形が出来上がったら、その行動の意味をあらためて理解させて、行動を強化する。道徳的実践力を高めるのに似ている。しつけ糸は抜くことを前提なのでトメかない。自分で守ることをやらせてみる場面が必要なのである。
和裁とよばれる着物文化は言葉となって日本文化、とりわけ日本人の行動様式に影響を与えているのかもしれない。洋服を着るようなって200年程度、それ以前は着物が当たり前、「着物」にはまだまだ奥深い文化があるようだ。
話は少し変わるが、そろそろ募集も始まるし、わかりやすく印象的に「少数精鋭を伝える」という課題を考えてみたい。「多少、遠近、上下」などの対比の言葉を使い、作文してみるとおもしろい。例えば、生徒数が少ないと教師との距離は近い。教師との距離が近いと学力向上につながる。その反対を考えると、生徒数が多いと教師との距離が遠い。教師の関わりが少ないと成績は低下する。反対はあえていう必要はないが、こんな感じで説明すれば、訪問校の生徒もかなりわかりやすいと思う。
わかりやすく教えることこそがうまい躾のスタートである。現場で身ぶり手ぶりを交えるのもよし。できないのであれば、比喩や似たもので説明する方法もある。しつけ糸をどんな形で使うかである。ふつうは白糸であるが、生徒によってはけっこう色のあるしつけ糸が必要な生徒もいそうだ。形が出来上がったらしばらくこまめなほめのフィ-ドバックをこころがけたい。ていねいにぬいていくことが必要である。そして、抽象的なほめは控えて、ここしばらくは具体的にほめておきたい。しつけ糸をぬいたら、本縫いまでとれてしまうではいただけない。自分でできるがぬくタイミングである。ここは4月一杯がふんばりどき、1学期に汗をかくと後が楽である。ほめて強化して、しつけ糸をぬく。美しい縫い目がそろうまではがんばりたい。後になるほど楽をするのが、しつけのベテランである。