きばっど育英館 はじまりはここから ~光と影を考えて~ H29.4.28
私たちの発想モデルは、かなり限定されたものが多い。1 「光」と「影」はどちらが本物なのか。2 ○○くんが食事前にアイスを食べていた。大胆な試みであるが、一見なんの関係のないこの2つの事柄(1と2)を結び付けて考えてみたい。
光と影は、太陽光線をふくめた光源からの光によってできる。光のあたる面の像は明確にはっきりと見える。この像を「光」と呼んでいる。立体であれば、その反対方向に影ができる。学校という光源をあてると当然、学校での生徒の姿が浮かび上がる。いやが上でも、育英館で指導されている礼儀作法が現れてくる。○○君はなぜ食事の時間でもないのに間食をするのかは、光の当て方の違いで浮かび上がる別の姿だ。宿泊研修の自由時間という、より自然な姿である。そこには、日常の生活態度がよく見えてくる。宿泊研修の自由時間という光源は、気楽に間食という姿を表出し、学校生活の礼儀作法を影にしてしまった。「陰ひなたなく」とは、光源に左右されないことである。生徒たちがどこに行こうが、何をしようが、育英館の礼法指導が生きるようにしないとだめである。その意味では、「陰ひなたなく」自己管理能力を高めることが必要である。1と2をつなぐとこんな感じの発想になりそうだ。
「最善を尽くせ」というテ-マで、「あなたのもっているすべてを」と言われ、簡単に「はい」という人は本当に幸せである。「あなたのもっているすべてとはなにか」と考えれば、なかなか簡単には言えない。感情論では限界がある。また、それぞれのすべてとはどんなものかという問いが生まれる。やはり、目標はきちんと数値で示すべきである。生徒募集なら、中学校35名、高校25名は達成したい。しかし、「最善を尽くせ」と言われる気持ちを考えれば、中40名、高校40名である。その覚悟でがんばると答えるが、その覚悟はどの程度で、どんなものなのか。
ここで、この問題も考えてみよう。全力とはなにか。光源次第だが、育英館を愛するという光をあててみたい。かなりよい「光」の部分が見えるはずだ。それを自分がやればよい。好きになることがはじまりだ。好きになれば少々のことは問題でない。
解答の前に「好きになること」を置きたい。次に、自分のもてるものを提供する話を考えてみると、時間や量ではなく、質を考えてみてはどうか。自分が身につけたもののうち、最高のもの、一流のものをぜひ教育してほしい。少々抵抗もあるだろうが、本物を教えたい。
たくさん教えればよいのではない。育てること、育つ環境を作ることもぜひ考えてほしい。今までないことだから、なかなか大変だろうが、先ほどの新しい発想モデルで考えてもおもしろい。礼法指導と同じように学業指導をしてはどうだろうか。発表のしかた、ノ-トの取り方、話合いの方法など、学習の質を高めれば、礼法指導と合わさって、力は間違いなくついていくはずだ。最善を尽くせとは、発想を見直せの意味が大きいと思う。「最善を尽くせ 答えは一つではない。」と、新しく発想して今年一年を過ごしてみたい。質を高めるための努力は、「考える」という試みから始まる。「考える」は案外、楽しいもので、はじまりはいつもここからなのだ。