今年も残すところ、後20日あまり、やり残したものを実現するにはやや日数が不足しそうだ。「3月までには」と考えるとやれそうな気にもなる。師走の風に吹かれてみると、あせりと反省がひょっこりと顔を出す。本当に精一杯「人間」をやれただろうかと心配になる。言いっぱなしになっていないかとおしゃべりを反省する。
校長職は育英館を数えて、3校目となった。前任校では、市内の生徒会の事務局、県の図書館研究会の事務局、そして、70周年行事開催をやりとげた。導火線に火をつけていなくなった自分をみんなはどう思ったか、風に向かって問いかけてみた。それぞれの役割をやりとげていくのはチ-ム力であり、所属するみんなの力であることがよくわかる。校長がいなくなってもどうにかなるものである。感謝の一言だ。
そこで、校長は何をすればよいのかという問題が出てくる。いろいろなものを成し遂げたり、乗り越えたりしていける人と人の和を作ることなのかも知れない。理事長からも評価された、育英館のチ-ム力はいまこそ発揮されるべきだ。向田邦子さんの本に「男時女時」というタイトルがあった。すべてがうまくいかないときを女時というらしいが、わたしは女時からスタ-トするのが好きだ。古今東西、レディファ-ストでうまくいく。その意味では導火線に火をつける校長として大事な役目をここでも与えていただいたような気がする。男時に会うまで火をつけ続けよう。
方向や目標を示すことが校長の第1の仕事だという話もある。私に言わせると、「トリ年で大いに飛躍をしたい。」と抱負を語るとすぐ、まずはチキン南蛮をみんなで食べて縁起をかつごうという話になりそうだ。宮崎のチェ-ン店「おぐら」の南蛮定食はおいしかった。1000円を超える値段に、注文した時は高いかなと思ったが、実にうまい。何が違うのか、ホワイトソ-ス?いや、酢なのか、とにかく1000円出してもよいと言う気持ちになった。よいものはいくら出しても食べたい。
さて、育英館に生徒を出している親はこう思っているだろうか。少なくとも卒業するときは、そう思ってもらい、満足させたい。方向を示す話が、トリ年なので南蛮になったが、食べ物屋の栄枯盛衰は世の人の評価を反映する。行列のできる店にとまでは言わないが、店に来て注文したお客様には最高の料理を出す気持ちでありたい。
大明丘にある「キッチン松元」の主人が最近なくなった。2年ほど前から、吉野方面の宴会で寄らせてもらった。その度に値段を超えるおいしさに驚いたことをよく覚えている。がんの宣告を受けたご主人が真っ先に考え、実践されたことは、お客様への恩返し、予算ギリギリでおいしい料理を出すである。お代はいただく、その予算の範囲で工夫して最高の料理を作り、出す、なんとすごい料理人のこだわりではないか。この話を聞いたとき、プロとしてこのこだわりを見習いたいと思った。生徒に提供する授業は最高のものとしたい。そんな時、「学園長の願い」が浮かんでくる。「最高のものを生徒に」を心がける者の姿勢である。育英館にとっては今は女時なのかもしれない。そうであればこそ、生徒たちに力をつけ、自己実現をしっかりと図らせたい。師走の風はさらに寒さを増すだろうが、私たちのハ-トはとことんマンのハ-トのようにいつでも燃えていたいものだ。