自分の基本となる所は祖母が育ててくれた。その意味で祖母には感謝している。ここに、ホテルマンを目指した自分の原点がある。朝起きてふとんをあげて、そうじをする。帰ってきたら子守、そして勉強、正座してきちんとできないとびりっとやられる。フロのそうじや片付けなどが毎日の決まった仕事であった。自分がここで生活できることに、感謝する。そういう心がまえまで、祖母は徹底して私を鍛え、育てた。ホテルマンになった時に、必要な資質はすべて祖母が教育してくれたと感じた。
言葉遣いにも厳しく、方言を話すと注意された。祖母の厳しい育て方で自分の人格ができあがった。いろいろなことに感謝、そして、勤労を愛す、謙虚さ、忍耐も育った。これらはすべて人生を生きる術である。これらは若い頃にくりかえし、たたき込む必要がある。それが当たり前であると思えるまで…。母は体が弱かったので、祖母が叔父夫婦の子供たちといっしょに育てたようなものだ。血はつながっているとはいえ、お互い遠慮がある。だからこそ、厳しく指導できたのかもしれない。
ホテルマンの仕事が自分をつくりあげた。睡眠は4、5時間だった。そこで、寝に帰るような毎日から、家庭は母子家庭になった。ホテルのことを考える毎日だった。現場から呼び出されることもあった。通勤の関係もあったが、酒を飲むことはなかった。退職した今でも、ホテルのロビ-に立つと体が自然と動く。41年間のホテルマンとしての体験がそうなるように自分を変えたのかもしれない。立ち居振る舞い、言葉遣いまで、まさに場数を踏んで育つ職場である。そして、それが自然と身につく職場でもある。現場一番、お客様の要望にどう応えるかを考えた毎日だったと思い出す。
ホテルマンとしても苦情処理ができて一人前だ。お客様の苦情を聞くだけ聞いて、ホテル側の話をする。誠意ある対応はまず、聞くことからだ。途中で話を中断すると苦情を言う方は興奮して、さらに収拾がつかなくなる。腹いっぱいになるまで聞いた後で、ホテルの考え方を示して、納得してもらうことが大切である。利益は追求しても、ホテルマンとして、「お客様のニ-ズに精一杯応えたい」がすべてであった。
さて、体験入学30名の定員はホテルの実際をみてもらうための制限である。市内のホテルにお願いして、体験入学の会場を提供してもらい、支配人の講話や先輩として働く5、6名の者に語ってもらう。実際の現場を体験するために、たとえば、皿3枚をどうもつか、配膳する順番をどうするのか、お客様へあいさつはどうするかなど、ホテルの仕事を楽しく知るプログラムを準備している。すべてにおいて、実践型の学校紹介である。そのため、参加する生徒さんたちには好評である。
ホテルで働くと8万くらいの対価が発生する。それを元手にホテル研修旅行を実施している。鹿児島以外のホテルで研修することで、各地のホテルのニ-ズやその地域ならではのイベント等がわかる。東京や大阪の一流ホテルで働くホテルマンを見ることが勉強だ。見ることで自分の行動を改善する視点が育つ。そういう意味で、本物を見ることの経験は何ものにも代え難い。今後とも、鹿児島のホテル業界で活躍する人材を供給する役目を大切にしていきたい。
(「厳しく教え温かく育てる」は人格形成に必要ですね)