受け取り拒否
「学校に行けない」、「人に会うのがいやになった」という話にはなかなか共感できなかった。どんな心理状態なのかとなかなか分からないでいたが、近頃、「はて?」と思いついた。これは一種の受け取り拒否なのだろう。ダイレクトメ-ル、不特定多数の郵便物、情報過多の世の中、いやがおうでも目に入る、気にかかる、これらを処理できるうちはよい。読んで捨てる。読まずに捨てる。しかたなく、返事を書く。自分の観点で、次々に投げ返せば良い。
ところが、これが多くなりすぎると、自分の考えるペ-スを越えていく。どんどん溜まると次第にめんどうになり、何もしなくなる。そのまますると埋もれてしまいそうだし、郵便物がだんだん怖くなる。しまいにはイヤになる。すべて受け取り拒否にして…そうやって閉じこもる。もちろん、部屋があれば部屋に閉じこもる。一時的に距離を取りたいとか、心をク-ルダウンさせたいのであれば、目をつぶったり、耳をふさぐもできるのだが…
次第に度をこえると、すべてをシャットダウンさせてしまう。機械的に考えると、オ-バ-フォロ-である。処理がついていかない場合が頻繁に起こる。どんどんこわれていく。こう考えてみると、心のシステムエラ-の一つのようにも見える。だから、直すには、外界の刺激を断つことだ。システムが稼働できるレベルまで情報量を制限すると、復旧する。よく人に酔うとか、気圧の変化に弱いとかで体調崩す人も同じことなのだ。不思議と刺激を断つとよくなる。
不登校にならないためには?と考えると、受け取り拒否を自分でやればよい。悪口を言われたらどうするか。言い返すと勇ましい反応もあるが、悪口に傷ついたり、心配したりと悪い情報が次々に押し寄せ、心を支配すると何も考えられなくなる。自分の限界が感じられたら、とりあえず受け取り拒否でよい。
お釈迦様の「受け取り拒否」の話をしよう。悪口をさんざん言われたお釈迦様に、弟子が尋ねた。「あんなに言われたら言い返してもよいですよ。どうして黙っていらっしゃるのですか?」お釈迦様は笑って「私が受け取らなかった悪口どうなりますか?」と言われた。「受け取り拒否ですね。元のところへ戻ります。」弟子はうなずいた。悪口を言えば言っただけ、言った人の所へ戻っていくものだと諭された。受け取り拒否は心を平静に保つ一つの方法なのだろう。
さて、受け取り拒否できない人はどうするのか。自分を見つめ直す場所や時間を設定すること、外界と隔てられた小さな部屋で自分のことを考えるのも一つの方法である。心を守らないといけないから、一人になることが大切なのだ。かけられた言葉は心の中で沈殿したり、発酵したり、いつまでも同じ形のままでないと気づけば、回復システムが動き出した証拠だ。逃げることは恥でもない。復元力はみんなに備わっているし、必ず動き出すものだと思う。