高名の木登り
5月になると緊張感がとれて、授業への集中度が落ちやすい。当然、気温も上昇するし、物理的にも緩む季節がやってくる。狎れや慣れが事故の原因になったり、学習への興味が薄れたりと「緩む季節」の幕開けである。
「過ちは易きところになりて…」と徒然草で中学校のころ学んだことを思い出してほしい。生徒たちの自己を見つめる力はメタ認知能力である。これは「自分が今どういう状況にあり、どういう行動をとるべきかを判断する力」のことだ。鎌倉時代の木登りの達人はまさにこのメタ認知のポイントを語っている。メタ認知は外部の状況を加味して正確になされるべきである。高いところで「目がくらみ」で正確な判断ができない。しかし、もう足がつく、大丈夫と思う瞬間にさらに正確な判断ができなくなるというのだ。なるほどフカイ話だ。
世界の黒澤監督は演技指導をしない人でもあった。本人のよさが演技に出るまで撮影を止めるという話だ。演じる人に何回かやってもらう。その中でいいものを見つけようとするし、見つけてはそれを撮影していく。そんな悠長な…と言いたくなるが、よさを見つけようとする構え、よさを見つけられる点では達人である。「可能性」は自分よりも他人がよく知っているのかも知れない。黒澤監督は本人の中にあるすばらしいものを気づかせる方法として、ギリギリのスケジュ-ルの中でも数回の演技を求めたのだろう。役者としても世界の黒澤が撮影を止めて、「やってみてください」というのだから真剣になる。真剣勝負とはこのことだ。「可能性の泉は真剣に掘らなければ出ない」の言葉通りだ。
この2つが成長には必要だ。子ども自身の変容へのフィ-ドバックと他者からの評価やアドバイスが相まってこそ人は成長していく。失敗の意味を本人が自覚できないのであれば、そこまでである。意味がわかると、次の道が開けてくる。引き返せば良いし、直せば良い。「君子豹変す」は過ちを正すスピ-ドの変化を例えたもので、「人そのものが変わる」という話ではない。自分というものがあるからこそ、修正ができる。新しい自分の構築にも挑戦できる。
そういう生徒を育てるために、「生徒を理解する、生徒から信頼される、自己練磨を欠かさない、情熱をもつ、生徒を活かす評価ができる」という理事長の願いを意識してほしい。生徒のよさを見つけるためには、教師自身が信じて待つことも、本人に気づかせて直すことも必要なのである。幼児的万能感という言葉がある。幼児は自分を特別な存在と錯覚する。あこがれると同一視してしまう。仮面ライダ-ごっこで怪我する子を責めてはいけない。学習はものマネから始まる。それをどう伸ばすかである。安全面には注意を払いながら、ポ-ズがよい、かけ声が似ていると、なりきり度の評価は子どもにやる気を与える。そこから、陸上競技やクライミングなど、仮面ライダ-能力が発展していくと信じたい。変身!!