他山の石で心を研ぐ
辰年になったここ数日、いろいろな事件が起こっている。そこから何を学べるのかという観点で「心をどう研く」を考えてみた。航空機事故ではCAの避難誘導が評価されていたが、これは日頃の訓練と意識の高さから為し得た結果である。「とっさの判断は現場で行う」ができる、できないかで人命にもかかわる。危機管理では、まずは防止、そして、被害軽減との順位はあるものの、どんな場でも行動としてできるはかなり難しい。しかし、できないといけない。
自分の心にある思い込み、自分には起こらない、自分なら大丈夫と過信してはならない。「心を研ぐ」とすればこのあたりだろう。行動としてどの程度までやれるのかは、実際、やってみないと分からないではすまない。事件、事故の度に意識して、取り組むことを心がけたい。「人のふり見て我がふり直せ」は「自分の悪い所を発見して、改善する」の一つの方法である。そのためには、自分と他人の行動結果を常に比較する問題意識をもって生活したい。まずは「動機がどうあれば、そんな結果につながるのか」と考察すればよい。できた他人のスタ-トの心構えや備えの部分は、大いに参考になるはずだ。
だから、心を研ぎ澄ますために、他山の石は大いに活用すべきだ。事件や事故でなくとも、「本で読んだ、人から聞いた、何かで見た」も十分に砥石になるだろう。ハ-バ-ド大学の落書きを取り上げた本にのっていた「明日するより今日した方がずっといい」は実にシンプルな言葉だが、カイゼンのつぼを押さえている。カイゼンは常に早いほうが良いということだ。年末の交通安全教室で「後部座席シ-トベルト着用率が鹿児島は悪い」と講師が語った。この一点でもカイゼンすれば安全に大きく貢献できる。安全はみんなの声かけから始まる。事故がどこでも発生するのなら、防止のための声かけもどこでもあってよい。みんなで、「明日より今日」と考えられると、着用率も上がるに違いない。
「自分自身をよりよく変える」がめざす教師像であれば、他山の石で研く経験は大いに役立つ。ぜひ、生徒にも伝えたい。「自由進度学習」や「探究」と生徒主体の教育では指導観の変革や専門的な研究が不可欠である。今までの授業ではついていけない世界である。そう考えると、教育は不易でなく、時代に応じて変わる必要がある。現行の教育制度を否定する感覚が必要になのかもしれない。見回すと研く石は実にたくさんある。どの石で研くにしろ、教師自身が変わろうとしないと仕上がらない。研くからには、まず、心から研いてほしい。そして、その思いを授業にできれば、生徒たちの新しい学力の獲得を可能にするはずだ。今までのやり方では、これからの社会で生きぬく力をつけることはできない。気づき、気になっている課題があれば、解決にむけて、自分を研きつづけてほしい。これからは、私たちが生徒を磨ける教師になることがまず第一だと思う。