報恩の鐘
育英館の男子寮の日課である「報恩の鐘」について、40周年の理事長あいさつでも取り上げられました。教育的な意義はどこにあるのでしょうか。報恩の鐘を聞く度に考える3つのことはどこから生まれたのかを探ってみました。
報恩とは、自分がお世話になった人へ恩を返すことです。どんな恩の返し方を理想とされたのでしょうか。恩を感じるには次のような過程があるとも言われています。まず、自分が受けている恩をしっかりと「知る」。恩の自覚です。「知恩」と呼ばれる始まりの部分です。基本的な恩は?と考えると、親や先祖が自分という命を産みだしてくれた。まずは、それに感謝する。そして、自分の身の回り、先生や地域、社会が自分を支え、成長させてくれたことに感謝する。「感恩」という過程です。ともに、「恩に感謝する」がキ-ワ-ドです。これらの過程を通して、自分に向けられた数々の恩のおかげで今の自分があることに気づくのです。鐘を聞きながら、まず、両親、家族、祖先への感謝する、次に、自分を育ててくださった恩師、友人、社会に感謝していくと、過去を振り返るねらいがよくわかります。その思いが鐘の音とともに心に満たされると、最後に、「自分の将来の目標を達成する」と祈願し、全力でがんばろうと決意できます。これこそが恩に報いる行動です。報恩は「恩を知り、恩に感謝し、精一杯生きる」ことで完成するのです。
親、先生、友達、先輩などへの感謝の思いが湧いたとき、行事や対外試合にむけてのやる気のスイッチがオンになります。「その人たちのために、その期待に応えるために、なんとしても頑張ろう!」と気合いが入り、気持ちが燃え上がります。仕事でも、家族でも、いろいろな人たちの応援があって、今の私たちがあります。直接、感謝の思いを伝えることも大事です。しかし、それだけでなく、いま自分がいる場所で、力を尽くし、役割を全うしていく、職場や家庭、社会に貢献していく。そんなこともまた、支えてくれた方々への恩返しであることに違いないのです。
「恩ある人々の期待に応えようと生きる」ことこそ、報恩の鐘の教えだと考えます。まさに道義に徹する生き方そのものです。朝の清澄な空気の中、今日一日の始まりをどう迎えるのか?寂しさや苦しさ、悩みがあっても、今の自分は一人でなく、多くの人の恩に支えられていると思い至れば、新たな一日を充実させたいとがんばれる気持ちも自然とわき上がるのでしょう。「不易」は変わらないのでなく、新たな解釈をし、源を尋ねて、さらに「不易」であり続けるものとしなければなりません。育英館の創設の思いは、学力や体力のある少数精鋭を育てるだけでなく、心ある者の教育を常に意識されたものと思います。今の時代にも必要な心の教育についての源流を鐘の音の中に見出させた気がしました。