「ゴジラ-1.0」の中に
戦後まもない日本をゴジラが襲うという設定である。敗戦直後の日本、軍艦もなく、飛行機もなく、ないないづくし。肝心のアメリカは軍事行動がソビエトを刺激するといけないから「日本で解決しなさい」と守る気はさらさらない。そんな状況でゴジラを相手に戦い、日本を守ろうとする人々がすごい。日本の海にばらまかれた機雷を掃海する木造船や武装解除された駆逐艦など戦後の現状をあちこちにちりばめ、時代感満載。残された物で戦う以外にないのである。
深海にすむコジラの出現は、深海魚の浮遊が前兆である。近くに出るぞと構えた瞬間に僚船がゴジラの一撃で粉砕される。木造船で機雷を投下しながら、逃げていよいよという瞬間に、軍艦の砲撃でゴジラが倒される。しかし、ゴジラの傷口は瞬く間に回復する。海面にトゲトゲを出しながら軍艦に近づき、すごいパワ-で船を沈めてしまう。海面から現れる背中のトゲトゲは実に存在感がある。近くで口をあける、にらむ、今回のゴジラは半端なく怖い。ジョ-ズ越で恐怖をあおるゴジラをご覧いただきたい。戦後の何も持たない日本人が知恵と力を合わせて、ゴジラという絶対な暴力にも抗う(あらがう)姿がテ-マである。その代表として、生き残った特攻隊員、少女の配役の神木、渡辺の朝ドラコンビ、ゴジラを冷静に倒そうとする吉岡君の科学者など、うまい役者さんがそろっている。武器無しの作戦に命をかける生き残りの兵士たちの心意気にも感動する。ゴジラに名をかりた人間劇である。「生きる」の意味を考えさせられる。戦争で生き残ることはけっして恥でもなんでもない。生きることに誠実であり続けること、命の尊さを改めて考えさせられた。寂聴さんじゃないが、「明日をくよくよ、昨日をくよくよでなく、今を大切に生きること。今を切に生きること。」の言葉がよく似合う映画だと思う。
ゴジラを兵器で殺すことはできないというのもおもしろい設定だ。砲撃をした軍艦も戦車もゴジラの放射能熱線ですぐ消滅させられた。武器には武器での応酬は破滅しかない。武器を使わずに消滅させる作戦を実行するところがすごい。自然のものは自然にかえすという発想だ。海溝に沈めるとか、それがだめなら急速浮上させるとか、自然の力での沈静化はすばらしい作戦だ。結局はどちらも功を奏さずに、特攻隊員だった神木君が、唯一機残った新鋭機でコジラの口に突撃するという最後の作戦に踏み切る‥(ネタバレ防止でここまで)
監督は生誕70周年のゴジラをどうしてもう一度撮りたいと考えたのだろうか。戦争が世界のあちこちで起こっている現代だからこそ、理不尽なその力に抗う意味を求めているのだろうか。そして、その解決は「武器を使わずに」という極めてシンプルな考えであるはずだ。生きるためにどんな強大な力にもひるまずに立ちむかう人々の存在を信じたい。ゴジラが再び現れても…