合うものになるまで
Z世代の暴走が心配される今日この頃である。この世代、本当に行動力があり、過激だから手に負えない。「しらけ」や「ゆとり」の世代と違って、真面目に考えるから、すぐに尖鋭化する。そこが怖い。本人たちはよかれと信じて、ネットでつながり、行動を起こす。それが社会にどう影響を及ぼすかまでは考えがおよばないようだ。「いいか、悪いか」の二者選択で、そそのかされ、操られたとしても、自分たちで起こしたよい結果と信じるに違いない。
この世の中、なかなか変わらないことを知るべきである。歴史がそれを教えてくれている。歴史の歯車を回したつもりが、思うように回せなくなる。しっかりと納得させ、目的を達成するつもりなら周到な準備や期間が必要だ。行動を起こし、たまたま成功してもすぐに元に戻される。自分たちのエネルギ-と同じ熱量で、引き戻す力もあることを覚悟した方がよい。歴史の歯車をなめないことだ。時期を考え、賢くふるまい、合わせることも生き延びる方法だ。
「合わせる」を洋服で考えると、成長期と老人とでは買い方が違ってくる。今の時代はどの時期なのかが選択の基準となる。老人はよくて現状維持か、縮むか、一方、子供には、とりわけ、成長期なら少し大きめを買う必要がある。親はその分を頭に入れて服を選ぶことだ。育ち盛りなら1年に15センチも伸びる。ぴったりだとすぐにきつくなる。似あう服もピッタリはだめなことはだれでもわかる。成長がとまれば、好きなものを選ぶもよし。体形も10年くらいは変わらない人もいる。変わらないなら今までのもので十分間に合う。ある女優の言葉を思い出す。「60を過ぎたら買う服なんてないのよ。今まで買ったのを全部着ないうちに死んじゃうから」 確かに60過ぎたら服はいらない。タンスの中身を考えると、着るが先か、死ぬが先かの問いにおのずと答えが出る。
選択とは一つに絞ることである。他を捨て去ることでもある。進路選択になると簡単には決められない理由がある。何が自分の将来に役立つかはわからないからだ。しかし、決めないといけない。時間的な制約に迫られるのが今の時代だ。そのためには、判断材料となる情報が不可欠。今ここでの判断にベストはないので、より正しいと思う方向に判断する。つまり、ベタ-で判断するしかない。今が過去になって初めて、ベタ-判断の是非がわかるのはしかたない。
決めたら石の上にも3年。自分に合うものにするために、続けることにも意味がある。時間はある。やり直してもよいぐらいの気持ちで、合わせる努力することだ。何事も自分化すると、必ず考え方や方法として転嫁する。そのための時間として、3年は必要なのだ。1万時間の法則もそれを裏付けている。学習の転嫁がおこるまで、がんばってみるのはけっして無駄ではない。
気が付けば、自分に合うものになっているとわかるから、このことわざは生き残っているのだろう。