新しい読書スタイル
重松清さんの話に小学生高学年の日常が描かれる。情景描写もだが、人物の書きぶりは半端ない。つい隣にいる感を出している。中学生の国語教材の「タオル」で清のファンになった。その勢いで、いくつか読んでみたが、すべてよい意味で期待を裏切ってくれた。もちろん、小学生も含めて、出てくる人物が自然なのだ。親近感を描くことが大事、そんな人物を描ければ、物語は実際の世界のように進行する。いつのまにか、物語といっしょに時間を過ごしている。
読書の形もかわり、今は令和であると考えれば、電子書籍もスマホ漫画もそれなりのよさはあるだろう。どこでもいつでもの手軽さや読みたいものを探すを第一にすれば、殿様読みの世界だ。これほど読書環境が整っている時代はない。しかし、昭和世代は、紙での読書へのこだわりが強い。新聞もやめならない。文庫本を一冊、鞄に入れて旅に出る、旅のおともには本もやめられない。文字を追いながら、ページをめくって読むというぜいたくは、ノスタルジ-的な遺産になってきた。とにかく、本がそこにあることがうれしい。新刊でも旧刊でもかまわない。本に囲まれたい。図書館は極楽浄土なのである。
ネットニュースでタイトルを把握、テレビではいろいろと概略をとらえて、そして、興味のある記事は新聞でじっくりと読む。前の2つは、ファィル名をつけたり、引き出しを決めたりのレベルである。新聞読みで、情報として残すかどうかになる。なかなかそこまでいかない。業界、専門用語の多用は実にこまる。調べ直して解説を理解しないと、雑談には使えない情報なのである。
国語の教材研究の大切さを後輩に伝えたいと思い立ち、夏の研修会で語った。知識が文字を媒体として、生徒たちの頭に流れ込む。そんな感覚をもつと、どう流すかも大事である。文章はキ-ワ-ドにからむ情報と感情で記憶されていく。情報は辞書で獲得するが、感情は共感しないとわからない。記録でなく、記憶するには手続きが必要だろう。自分と友人の考え、それらを交流する中で情報も感情も広がっていく。それがまとわりつく、構造化されて記憶になる。暗記ものの年号や事象も、語呂合わせや関連する知識が少しあるとよく覚える。人物の心情、思想を追究すると、好悪の感覚を無視して、考えていくことは不可能である。広い読みを深い読みにつなげるなら、読解と読書指導と組み合わせながら、進むことが大切だ。どんな形でも、好きな読書に親しむことがポイントだと思う。よい本を読もう運動や推薦図書100冊読破も親しませる対策だ。興味が出たら、本のある所に行き、調べ読みでも読書に飛び込めばよい。「奥の細道」を研究するなら「のざらし紀行」も読んでみる。歌物語のスタイルにも似ていると感じたら、「伊勢物語」も読んでみよう。不思議なもので知れば知るほど、関係のある本を読みたくなる。そこでの新しい発見や驚きを自分だけの宝物と思えたら、ますます読みたくなるはずだ。