今年の秋は
夏の終わりには台風も立て続けにやってきた。「今年の秋はどうなのだろうか。」朝夕の風の色が変わり始めると、秋のおいしい果物に期待してしまう。青森農協が「りんご摘果適期」の指導にまわると、ニュ-スが始まった。収穫のタイミングを考えないと、果実が傷む?ということなのだろうか。食べ物には「旬」が大切、なんとなくわかる気がする。熟成肉やつるし芋など、時間で旨さを作る一手間である。今年、新潟県は1等米が少ないらしい。熱さの影響がこんなところにも?と期待できない話も取り上げられる。誠に残念だ。画面は、すだちキャンペ-ンの郵送風景へ続き、各地で不況から特産物を守り、届けるクラウドファンデが好調と明るい話で、キャスタ-がまとめた。そうなると、秋のおいしさへと話がもどり、ぶどうやりんご、なしに栗と期待は高まる。いよいよ日本の「秋の実」に関わる話題がTVを賑わす時期がやってくる。毎年のことだが、誰が言い始めたのか「食欲の秋」とよく言ったものだ。
季節を意識して「~の候」と使う我々の祖先には、2つの季節を同時に感じるという特性もあるようだ。「雲の峰いくつくずれて月の山」ではないが、眼前の季節とその向こうに見える次の季節を描くという感覚には驚かされる。目に映る「雲の峰」は入道雲、まさに「夏」。その崩れた先にある景色は、今宵の月がかかる山である。その山こそ、これから来る秋を感じさせる象徴的な表現にもとれる。この句の解説では、奥の細道で芭蕉が訪ねたかった「月山」のこととなっている。立秋になると、「涼風の候」の文書をいただくようになる。猛暑日が多かった今年だが、そろそろ”暑さの中にも秋を感じる涼しい風が吹く頃となりましたね”の時候挨拶をありがたく受け止めたい。「涼風の候」は、暦の上の 秋の初めの時候の挨拶とされている。猛暑日が各地でまだまだ続くのだが、涼風の心地よさを思い浮かべるこの挨拶で本当の秋を感じたいものだ。
”~の候”とつく漢語調の挨拶は、最もあらたまった丁寧な言葉で、ビジネス・公的な手紙や、目上の方に出す手紙の慣例である。この~候は季節が詰め込まれたパックで、タイミングがあうと心に刺さる。今の時期なら、まさに、涼風が吹き渡る感覚をもらえる。扇風機の風量を漢字で表すおしゃれな感覚にもこれが活かされている。「強く」「弱く」のどちらでもなく、「涼やか」である。
「涼やかに生きる」は武士道でも大事にされている。日新公いろは歌には「涼やかな生き様」を取り上げた歌もある。風の取り上げ方こそ日本の季節感だ。2学期はこの涼風から始まり、12月の寒風まで何種類の風が吹くのだろうか。○○の候と書くたびに季節を実感し、風にも季節を感じる、この国のもつ自然感に感謝したい。この「涼風や」の句にも次の季節の胎動が聞こえる。つながり、ひろがり、すべてはそうやって流れていく。 涼風や青田の上の雲の影 / 許六