マンダラシ-トの日付
仏教と心理学のつながりという話の中にマンダラの話題が出てくる。この世の中を認識する基本的なフレームはマンダラのよく似ているという話だ。乱暴なまとめ方なので、たとえ話の類と読んでほしい。
精神病を患い、自分を認識できなくなる寸前に、人は幾何学的な文様を書くらしい。〇と◇で作られた、いや〇や◇を置いた図?は、たぶんマンダラに見えるのだろう。マンダラは仏様の世界を図式化したもので、信仰の対象である。もともとは砂絵だったようだ。いろいろな鉱物(色)を使い、砂に書かれた仏の数々、想像するだけで、すごい芸術だ。これを布に描いて、タペストリ-のように壁にかけてお祈りする。中央に大日如来が書かれ、その周りに如来が姿をかえた諸仏がとりまく。世界の中心にある大日如来はその用途(人々の願い)によっていろいろと姿を変えるという発想は実におもしろい。
この話を聞きながら、現在、ビジネスのステージで目標達成に利用されるマンダラシ-トを連想されるだろう。まさにあのシ-トの原点である。中央にある目標を大目標、そして、それを達成するのに必要な中目標、この中目標をそれぞれの中心において、具体的な小目標が掲げられる。信仰の対象の図や人間の根幹にある認識のパタ-ンとして知られているものである。だから、達成シ-トに目標を書き出してみると、自分のやるべきことがよくわかるのは当然なのだ。このシ-トの形は心の定石とでもいえる代物なのかもしれない。
昔の仏教の話が19とか20世紀の研究の中で取り上げられるとすれば、人間の心の問題は永遠の課題といってもよい。やる気や意欲、それらを持続する方法を考えるのは、心理学としても実益がある。しかし、認識のフレーム問題では、個性や個人差もあるようでなかなか難しい。考えてみれば、価値観や美学の問題でもある。ここらは研究者の手にまかせることにしたい。実践レベルの話だが、なぜ砂絵であったのかを考えてみた。仏も目標も変化(へんげ)するものである。シ-トは書いた日を入れ、目標達成をめざす。達成後はさらに高い目標を設定するものでなくてはならない。本来、マンダラは祈りを捧げるその時点の仏様の配置であり、たぶん祈り終えた次の瞬間は別物でなくてはならない。
「継続は力なり」のスローガンを掲げて半年、達成された目標を見直し、次に進みたいものだ。若葉が新緑に変わりつつあるこの季節、あらたな気持ちで次の一歩を踏み出そう。達成された目標が新しいやる気をすぐそこに連れてきているようだ。大谷君のマンダラシ-トも日付入り、ぜひ6月〇日付けで、自分のシ-トも書き直そう。
新緑にバトンを渡す若葉風