秋風の色は
「今日の風、何色」と盲目のピアニストで有名な辻井さんの幼い頃の質問が題名となる本がある。この題名にちなんで、風に色があるという前提でいろいろと考えてみる。新しい発想が生まれて、実におもしろい。秋には秋色の風が吹く、春には春色の風が吹くのである。いつの間にかそんな風があるような気持ちになる。たぶんよく見てないから見えないだけなのだろう。あんなに猛暑日といっていた8月から1月も経つと、まちがいなく秋になるから不思議だ。世の中を秋にしてしまう風がきっと吹いているに違いない。
この風はどこから吹いて来てどこまでいくのか。どんなふうに世の中の色を変えていくのか。紅葉なんて、風に色がある証拠だとまで思えてくる。この時期は、朝晩はかなりひんやりする。「寝苦しい」という言葉がぽろりととれると、いつまでも寝ていられる。「春眠暁を覚えず」の対句として「秋眠暁を忘れる」と言いたい。この風が秋から冬へと色を次々と加える頃には、ふとんから出られなくなる。「寝苦しい」「寝足りない」は人間の勝手な理屈である。
9月の2週目あたり、台風がこなければ、空を見上げることが多くなる。仲秋の名月とはよく行ったもので、このころの月はなぜか目に優しい、その光や形に飽きずに眺めてしまう。この月からの連想で、風に吹かれて一晩踊り明かす人々を照らしている満月が浮かぶ。夏の郡上おどり、そして、おわら風の盆と、8月~9月にかけては夜を徹して踊られる祭りも多い。風は秋色、月の光の中、この人々の踊る姿に気をひかれてしまう。そうやって、秋は人が知らず知らずに招くものなのかもしれない。コスモスの見頃から、キンモクセイの香、紅葉と秋は自己主張も長い。名園と呼ばれる庭も秋の見栄えは一段とよい。この時期は秋の景色を散策したいと日本人のだれもが思ってしまう。秋を愛でる行為は、日本人のDNAに書き込まれているのではないかと錯覚してしまう。
やがて、11月になる、今年も残すところ2月だ。「五黄の寅」なんて言われたR4も終わり、新しいうさぎの年の誕生だ。風は何色だろうか、冬の風は黒白どちらなのだろう。あまり冷たい黒い風なら、勘弁してほしい。南風と書いて「はえ」と読む。島のブル-スでは「はえの吹く夜は眠られぬ」と歌う。名瀬の港に着く船に乗っている愛しい人にも吹く風なら、期待の色に違いない。秋の日本を旅すると、秋風とともに紅葉前線と出会う。北から南へ、四季豊かなこの国は季節の変わり目には何度も○○前線を上下させる。鹿児島の北、湧水町には雪があまり降らないと聞く。大口が豪雪地帯で山一つ隔てると、変わるらしい。この町にも見慣れた紅葉前線が降りていく。この前線が南まで降りきると、早い冬が駆け足でやってくる。うさぎの年がぐんぐん近づく。希望のもてる年になりますようにと祈りながら、寅年の残りで「為せば成る」のスロ-ガンをやり遂げる努力をしたい。