親にも変身ベルト
家庭教育学級に行き、感じたことだが、親自身の自己肯定感がなぜか低い。自分の子育てに自信がない。わが子の評価に自分もそう評価されたと感じる。常に周りや世間の評価を気にする。それなのに、他人の世話にならない、自分だけで子育てをがんばろうとする。結局うまくいかないと力つき、そのあげくに、学校に責任を転嫁して、学校が悪いとクレイマ-になってしまう。
我を通していることに気付かず、「協力」がわかっていない。現在の子育てはチ-ムでやるものだと割り切りたい。昔は親、親戚、じじにばば、隣のおやじもおばさんと、実に多彩なメンバ-が子育てに関わった。そうやって次の社会を育てていた。そう考えると、自分の子供だと思わず、みんなの子供だと思うことも必要なのだ。自分一人で大変な時は、周りに「助けて」と言わないといけない。親だけで育てようとするからうまいかない。仏様だって庶民を救うのは大変だった。話を聞くだけで足りない。そこで、1000本の手がある千手観音様の信仰も始まった。個々の人の悩みは際限なく、どこまでもわがまま。子供だって一人として同じはない。だから、子供を育てるにはいろいろな手が必要なのだ。その意味では、手は多いことが大切だ。
「助けて」と言えれば、学校からの協力ももらえる。教員はかならず手助けになる。親と同じように「子供をよくしたい、育てたい」と思う、大人なのである。先生を上手に使うのも親の能力の一つだ。自分だけ抱え込まないで、「悩みを打ち明ける、相談する」でずいぶんと気分は軽くなる。荷物をとりあえずおろそう。心に余裕ができる。親が自信をもたなくて、子供の肯定感が高まることはない。肯定感を高めるのは、ほめるである。ほめるは絶対評価がよい。本人の成長や過程、取組を評価してほめるのがよい。日本の若者は自己肯定感が他国に比べると低い。集団で効率的に実施される教育による弊害である。また、「這えば立て、立てば歩け」のように見えることにこだわる。成果に反応しやすい。これらの相対評価は学力の一部分に過ぎず、その総体ではない。そこを勘違いすると、せっかくの才能をつぶすことになる。漢字の話だが、「親」は木の上に立って遠くまで子供がどこにいるかを見る人と習った。これは、昔の親で、現在の親には、木立の中に有る才能を見つけ出す人であってほしい。親にも変わってほしい。親を元気づけるためにペックト-クならぬ、ペックライテングをしてもらった。その作り方を解説したい。自分の好きな名言に「たす、かける」という感覚で言葉のアレンジを試みる。好きな言葉を自分化していくと、ここという場面で想起して、力づけられる。親自身をもっと強化したい。近頃のライダ-は、敵キャラのグレ-ドアップに合わせ、強くなるように変身する。親も変身してよい。自己肯定感を高める言葉は変身ベルトみたいなものだ。