Z時代と概念共有
カタカナ語での概念形成は難しくなった。令和を生きる、生まれた時からケ-タイがあるZ世代に対して、昭和生まれはXでなく、Vくらいだろうか。
まず、漢字の書き取りは、ノ-トに書き殴っておぼえたV世代、生まれた時にはTVもない。小学校でス-パ-マ-ケットに、中学校でエレキギタ-に出会う。高校でバブル、大学でケンタッキ-やマック、とにかく2、3年でいろいろなものが変わることにびっくり。そして、衛星電話、インタ-ネット、ケ-タイと息つく間もなく、先進技術がやってきて、生活が変わっていった。プロレスのデストロイヤ-を覚えたと思ったら、タ-ミネ-タ-、ラミネ-タ-、ゴ-ストライタ-、みんな親戚?と勘違いしていたら、コ-ディネ-タ-、ファシリティタ-と、次々にタ-とタ-と、本当の意味もわからないままに、ごちゃごちゃになった。それでもなんとなく使ってV世代の名誉を保っていた。
このV人は、漢字なら類推、共通概念が形成できるが、カタカナ語はお手上げである。一時期なんでも短縮したカタカナ語が流行した。ブルトレは、ブル-トレインで寝台特急、AVはアダルトビデオとオ-デイオビジュアル V人は色に関わるカタカナ語によく反応する。近頃のブル-トゥ-スもブルーとつくだけで、別の意味と勘違いしそうだ。青い歯の王様の話に基づいているようだ。王様も歯が命なのだろうか。とにかく、カタカナ語は概念や省略の経緯をしっかりと聞いておかないと、メンツだけでこれからも間違って使いそうだ。
エロいやキモいは、何度聞いてもどこまでも「気味が悪い」としか受け取れない。擬音語の響きも関係するのだろうか。世代格差の原因は根ざす要素が多すぎて理解不可能だ。朝ドラ「チムどんどん」もたちが悪い。漢字で書いて、ルビをふればチムは「心」とわかる。このままではアッチコッチの「チ」と「ム」 ではと考え、「あたりかまわず」と想像をしてしまう。「カゼにご用心」なのか、「風邪にご用心」なのかで、見た目で飲み薬も違ってきそうだからこわい。
Z世代と同じカタカナ感覚を身につけるのは至難の業のようだ。スマホなくしては人間やれない時代、スマホの操作もたどたどしい老人に機種変更案内と料金見直しだけは津波のように押し寄せる。お茶の間でAUだのなんと○Qだの、フアミリ-プランと、口元を見ると日本語とは思えない音だらけである。「帰ってみればこはいかに」とつぶやく浦島太郎、今の時代は「これはどうした」と訳すより、「見知らぬ世界だ。怖いカニ(かわいく言う)」はといった方が理解されるかもしれない。語る言葉が生徒や保護者に届かない。たぶん、日常会話でも意志は通じていない。共通概念を形成できないところに来ている。わかりやすい日本語の基本話形を作成し、2000語程度の生活必要語で語るのはどうだろうか。Z時代は語っても通じない怖いカニだらけである。