英語耳は今でしょ
教師を長年やると、学習定着については個人差があることをわかった。なぜそうなるかは、ものの本や体験を通して、いろいろと要因があることだけはわかった。逆に個人差を活かせないものかとも考えた。世の中にある「飛び級」もその一つだが、授業の中で利用する手はありそうだ。
注意散漫で授業を妨害するような生徒の中に、教師から「なんで聞かないの?」と指導されると、すかさず、「聞いてますよ。そこは◎◎ですよね」と的確に答えられる生徒がいる。見た目は聞いていないが、内容は理解し、「聞いている」生徒だ。当然、その逆の生徒も存在する。この生意気に見える生徒を研究したい。観察したり、生育歴を調べたりして、この聴き方をどう身に着けたのかを調べてみたい。他の生徒に応用できないかという話だ。態度は注意すべきだが、騒がしい落ち着かない環境でも情報を把握する能力がある。昔話の「聞き耳頭巾」を連想させる。つまるところ、集中する力なのだろうか。
まったくの私見だが、次のように考えてみた。言語習得期という年齢幅が有り、その間に聞いた言語がその人の基本的な考えのフレ-ムになる。これはよく知られた話だ。だから、顔としゃべる言葉が違う人が‥という話になる。どこで育つかで考え方も違ってくる。同じようにその人の理解する力のベ-スにもなっていると考えられる。つまり、この年頃には、この話は難しいとかでなく、聞かせることだ。漢文素読ではないが、難しい漢字もルビさえふれば読ませてよい。書き順はわからない、偏も旁もしらない、記号のように覚えるはずだ。読める文字は生活語彙に編入される可能性が高まる。「春は眠いよね」と語ると、「暁を覚えずだね」と語る小学生が出てくるのはこのあたりの成果と考えられる。「少年老いやすく」とであれば、「老い」となるの前に学ばせることだ。
そういう目や耳はその人の生涯を通じて役に立つ。もちろん、体系的に知識を教えるとも必要だが、肝は学び方である。情報収集に目や耳をどう使うとよいのか、できればこの時期に鍛えておきたい。あわせて、表現であるおしゃべりも育てたい。「なぜ?どうして?」と質問して、「これは何だ。だから、どうだ。なぜならば、なんだ」と小さいうちから屁理屈も語らせたら面白い。
感覚を一つ落として集中させることもよい。視覚と聴覚でなく、視覚だけ、あるいは聴覚だけにして学ばせる。これも脳の機能を発達させることにつながるだろうし、感覚を磨くことも良い。中学校は言語形成期のまとめである。12歳から14歳は絶好の期間、だから、ここで鍛えれば、英語耳になりうる。10分間の積み上げが間違いなく力になる。これを逃すとなかなか耳ができない。耳ができるとしめたものだ。英語には、「全身が耳」という言い方もあるくらい、耳は大切なのだ。