6月は時間の大切さを学ぶ月
6月10日は「時の記念日」である。日本で初めて時計が使われた日らしい。天智天皇の水時計だったと思う。そのころの人々に時間の概念をもたせようとする先進的な試みに感動する話だ。ところで、だれにでも平等にある時間、さて、この指導はどうしたものか。
学級がまとまりながら、新しいものにも挑戦し始めるこの時期、担任は、時間に対してル-ズな生徒の指導で悩むことが多い。4月当初の自分の目標が2ケ月も経つと、薄れることも原因の一つである。モチベ-ションが下がるというより、慣れるが「狎れる(悪い意味の方)」に落ち込むところに問題がある。高温多湿の梅雨という気候的なものも加わり、何事にも意欲が低下する。「やる気がなくて…」のいいわけもありがちな話である。
季節のせいにして、生活が充実しない、学力が向上しないのではこまる。「継続は力なり」「小さな積み重ねが大切」と指導する。学年が上がるほど、学習成果も、小さな時間をどれだけうまく活用できるかで違ってくる。勉強が中心ではあるが、学生生活もいろいろとあり、考えてみると、時間は足りない。勉強も学校で習ったとしても、なぜそうなるかと復習して自分で身につけなければ所詮無駄だ。学習は集団で成立しない。そんな気になっているだけである。個においてのみ成立する。人が勉強してくれても自分の力にはならないのは、こういう理屈だ。だから、自分でやればやった分だけは必ず自分のためになる。
10分と言えば、朝の読書とか、リスニングなどの大きさの時間だ。これはうまく使うとすごい力になる。一年続けると、10分×365日なら3650時間となり、なんと時間に換算すると、2日半くらいだ。間違いなく、何かが成果として残りそうだ。食事とお風呂、後片付けと睡眠、宿題と気分転換、小さな時間は毎日無数に存在する。その時間に何ができるのか。これを真剣に考えるのとそうでないのとでは大きな差が出てくる。短い時間を見つけて活用するのは、その人次第である。一日の生活になんとなく溶けて消える時間としてあきらめるのか、継続して貯めて新たな可能性へのチャレンジとするのか。たとえ、10分間でもがっちり受け止めるそんな姿勢を教えておきたい。
若いうちから時間の使い方には貪欲な方がよい。時間を湯水のように使うだけ使って残ったのが、何もやりとげられなかった後悔だけではたまらない。目的や計画を明確にして使うことだ。達成感にもつながる。途中で振り返るのもよい方法だろう。有効な時間は生活の質の充実もつながる。自分の時間を上手に使うために、もてる時間を効率的に動かしていこうと考えるようになる。意識すれば、時間が生み出されてくるものだ。一日の中で自由にできる自分の時間が多いというのが、なにより裕福な証拠だと思う。