きばっど 立志式 R4.1.31
2月の寒さの中、体育館で立志式があった。ずいぶん昔の昭和の話だ。昔は14歳で大人になった。親父の名代でムラの大事な会合に参加し、もう子供ではないと一人前に扱われた。橋本左内という幕末の志士が「幼稚な心を去れ」といった。立志の決意をみんなで声をそろえて言った。自分の決意は紙に書いて、教室に貼った。学校に訳の分からない行事がまた一つふえた。寒かった。の記憶がある。あれから50年、この立志式はどうなったのか。昭和から平成へと時は移り、行事の精選で学校では姿を消し、地域主催でどうにか残ってはいるが、消滅の方向はまちがない。
なぜ14歳は大人だとしたのかを考えてみた。一つは大人の確保である。武士の時代、病気はもちろん、戦いで人はなくなる。その後も平和になったからといっても平均寿命は60歳にもとどかなかったことだろう。社会を、家を支える人が必要になった。「大人に早くなってほしい」は社会の切実な要求だった。
大人になるとはなんだろうか。子孫を残せる年になること。そこで、これくらいなら子孫が残せる年齢を大人にしたのだろうか。14歳といえば、現在は学生であり、勉強の真っ最中。好きな相手を見つけ、結婚もよいが、勉強との両立は難しいだろう。人はだんだんと大人になる。10代から30歳くらいまでの時をかけてだ。大人にならずに親になる人もいる。大人と親は同じでない。自分は大人か子供かの問いを繰り返して、大人になっていくのかもしれない。どんな人が大人なのかを考える材料が昔は多かった。
「みんな違ってみんないい」はみんなに当てはまる訳ではない。だれでも言うからおかしくなる。自分の感情や健康管理など、規則正しい生活や社会生活ができない人が「みんな違って」ではこまる。好き勝手にすれば、結果、迷惑をかけてしまう。当たり前にできない人は大人とはいえない。ましてや、そのまま親になると毒親になってしまう。自分の思いのままにならないと、「親罰」と受け止める。親を選べない子供にそのつけがまわる。放任、虐待となる。大人になれない親が育てる子供は不十分なモデルを見て大人になろうとする。これを危惧した教育の流れから生み出されたものの一つが「立志式」なのかもしれない。行事の本質が語られず、時数の問題のみでほぼ消滅した。「問い続けて大人になる」に基づけば、もっと大事にすべきだった。
成人年齢が話題になる中、もう一度、「大人になる」教育を考えてみたい。まわりにモデルが少ない今こそ「~なる」教育は必要だ。大人になれなかった親は責任をとれず、「違っていい」の鬼やモンスタ-となり、学校にそのツケをまわす。立志式の歌は、「桜は桜の匂いあり、椿は椿の香りあり」と歌い出し、「人それぞれの芽を伸ばし、色とりどりに花と咲く」と続く。本当の意味で「みんな違ってみんないい」を教えていた。立派な大人教育だった 。