きばっど 007が死んじゃった R3.12.28
映画好きの皆さんにこれを書いてよいものかと思いながら、映画の話題を綴りたい。世界的にファンの多い、007シリ-ズはボンド俳優を変えながらも続いてきた。今回の話は少し違う感じがした。007が二人いるという場面があり、「永久欠番かと思ったか?」というセリフまであった。よもやと悪い予感はしたが、あの不死身の主人公が悪の組織が作り出したナノ兵器を壊滅させるためにいっしょに消滅してしまった。なにせ、彼が立ち尽くす秘密基地の上にミサイルが降り注ぐ。このラストシ-ンにはびっくり。ある友人は信じられずに、3回見たそうである。映画ファンならわかる気がする衝撃である。
もちろん、映画はアクションを含めては、このシリ-ズならではのお約束の秘密兵器の数々、そして、美女とのロマンスなどのてんこもりで、十分な見応えである。が、結末にあぜんとなり、エンドロ-ルの流れる中、悲しくて足早に帰ることになった。物語はいつか終わるとわかっていてもボンドには死なないでほしかった。前回、前々回からの悪の組織スペクタ-との戦いの中で、ボンドの立ち位置が少しずつ違ってきたのはわかっていた。スパイ映画の鉄則は非情になれない者には死、そのセオリ-がくずれたまま、彼が行き続けていることが不自然だった。今回の作品で総決算として彼の死を準備していたのだろう。
愛する人ができ、子供もできた時、ボンドは生きることを許されることはなかった。この結末は予想された。新しい007は女性、しかもボンドに負けず劣らずの腕前、続編を考える設定はわかる。前の007は引退で終われないのですか?今回は一度引退した彼を呼びもどすところから、死の伏線である。悪の組織もハイテクになり、最先端の科学を駆使すると、監獄の中からリモ-トで誕生パ-ティに参加したりもできる、また、遺伝子研究に基づく兵器を開発すれば、ある共通遺伝子をもつ人だけを殺せるという設定、どれもがまんざらうそとも思えないから、科学の進歩の危うさやこわさを感じさせる話だ。
ロケ地も本部のあるイギリス(ファンには見慣れたQの本部)に、ハネム-ンで訪れるイタリアのマテ-ラ、南米の町?ではスペクタ-のパ-ティが行われている…と世界各地という感じである。00ナンバ-をもつ男は同じナンバ-の女性と交代する。この流れにそういう時代だなあと感じた。話はネタバレしないようにこの程度として、ボンドの死が意味するものを考えてみた。まずはヒ-ロ-は男性という固定観念が通用しない。次に組織改編にヒ-ロ-不要である。この時代はヒ-ロ-も生きにくいようだ。
本田翼似の彼女が娘を助手席にのせて、疾走する場面で終わる。娘はジェ-ムズと同じブル-瞳。次はこの子なのかな?と期待をつなぐ。死から逃れられないとすれば、自分の死と同等の価値と引き替えるのだろうか。「武士道とは死することなり」も等価交換のように思える。引き替えになるものと信じたら、躊躇なく交換するのかもしれない。今回の最後での選択はまさにそれである。立派に生きることは立派に死ぬことである。「ジェ-ムズはね、あなたのパパはね…」と語る彼女は、この生き方を肯定しているようだ。彼にしかできない死に方であるという理屈はわかるけど、ボンドには死なないでほしかった。ブル-の瞳に期待したい。