きばっど 時代の渦 R3.11.22
ここ1月くらい、分配と成長、競争と成長というキ-ワ-ドをよく耳にする。自由競争で成長していくのが資本主義である。分配という概念は資本主義にはややなじまないと思う。確かに分配するものが存在するのであればよいが、コロナで散々な目にあってきた日本に果たして分配するものがいくら残っているのだろうか。コロナ時代が始まり、配布されたマスク、ワクチン、すべて借金である。未来の日本人が払うツケである。その上、何を分配しようというのだろうか。これから経済活動が復活してその利益を分配するつもりなのだろう。しかし、これは世界の動きとの関連が大きい。今のところ、アメリカの金利の動きはよく見えない。数字もだが、タイミングも大事で、これ次第では日本があてにしている稼ぎなど泡のごとく消えてなくなるだろう。それほど厳しい。
グローバル化の進展は世界の人々と商売で渡り合うことになる。当然、競争であり、結果、日本の国益を優先することになる。イノベ-ションも同じことになるだろう。競争という圧力を高めるだけだ。ただし、人類を救うという地球規模の目標を掲げるのであれば、話は違ってくる。クル-ドラゴンの船長に日本人がなる話も心強い材料だ。世界の国は日本の調整能力に期待している。「日本人ならずるはしない」と思われるのはよいことだ。そういう意味のグロ-バル、イノベ-ションなら、日本も世界も救われるだろう。世界の国の中にはどうもズルをすると思われてもしかたない国も存在している。世界の国々とのつきあいもこれはこれでなかなか難しいといえる。甘い考えは許されない。
親ガチャは、ガチャガチャの機械から出てくる中身の見えないカプセルから生まれた言葉だ。親の能力や経済力で自分の将来は見えている。だから、勉強を熱心にやらず、そこそこでよい。「大した中身でない」をたとえた親ガチャだが、立場を変えると、子ガチャでもある。親がいくら優秀でも子供にすべてが遺伝することはない。逆に「親はこの程度」と子供が親を評価するほど失礼なことはない。黙ってはいるが、すばらしい能力をもつ親も多い。いろいろな条件があり、たまたま現在の状況に甘んじている。これから変わっていくことも十分ありうる。親自身も変化の途中であることをよく理解すべきだ。
さて、2つの言葉を取り上げてみた。本当に変化の激しいご時世である。外圧というべきコロナは、黒船のような効果をもたらしているのではないだろうか。疑わなかった、当たり前だと信じた世界が壊れていく。どこを見ても信じるものが見つからない。時間は容赦なく先へ先へと進んでいる。自分はこの波に乗れるのだろうか、そう思うと、不安である。立ち止まるいとまもなく、渦にのみこまれていく。右回りのつもりが、気が付くとかなり左へ回っているようだ。はやり言葉を噛みしめたら、時代の渦に巻き込まれている自分に気づく。コロナ収束、そろそろ渦も逆に回り始めそうだ。