読書の効用として今までもいろいろと書いてきた。読書歴はその人の心の成長でもある。一人の人間の人生で経験することはたかがしれている。作者が経験したこと、全部ではないがそのエキスが書いてあるのが、本である。読むことで疑似体験や追体験ができる。これは手っ取り早い学習にほかならない。小4、5年の頃に読んだコンチキ号漂流記は忘れられない1冊である。もちろん、これと同じではないが、海底二万マイルや地底旅行など、冒険の世界を追体験した。のどの渇きとか、大タコとか、想像できたりできなかったり、それでも心臓はばくばくして、夜も眠れなかった。
読むことはインスト-ル、自分を変えていくことはバージョンアップである。なんでもなかった人がどうして偉人になるのか、どんな過ごし方をしたのかと気になるものだ。幼少期から大きな志を抱くのはなかなかである。ほとんどの人が普通に生まれて普通に大きくなっていく。変わるきっかけは不思議と前半部分にある。少年期から青年期にかけての自己決定の場面である。外的な要因は世間一般の不幸、貧困が多い。さらには、よい方では友人や先生との出会いである。これらによって本人は自己決定をして、自分で決めた道へと歩み出す。多くは20代前半までにこういう機会があるようだ。
その次は与えられた場所での努力の継続である。20代から40代が活躍の時代である。偉人の多くが自分で運命を切り開く力を見事に発揮する。しかし、よくよく読んでみると、人に助けられてこそ偉業をなしとげるといってよい。つまり、どんな人と出会うかが大事である。そして、そのアドバイスを受け止められるかである。
二宮金次郎は農政家として知られた偉人である。彼の幼少期もけっして恵まれていない。人並みの幸せなんて考えられない苦労の連続である。もちろん背中に薪を背負い、その間も本を読んでいたイメ-ジはうそっぽい。しかし、彼が恵まれない境遇で一生懸命に学んだことは本当だろう。身近なところに学ぶチャンスがあり、それを十分活用したたとえではなかろうか。問題意識の継続があったのだろう。読書の効用につながるのは、偉人伝の前半には中高生時代が書かれる。どんな偉人も名もない人であったという過去がある。それが新しい発明や発見で世界を救う人になった。そんな偉人のだれもが「みんな若かった、中高生だった」のはまちがいない。そうなると、だれもがそうなる可能性にあふれていると気づく。読んでみればどうすればよいかのヒントもある。考えてみると、日々のいろいろな刺激をうけ、イントス-ルを繰り返し、新しい自分へとバ-ジョンアップしている。人はそうやっていろんな時代を生き抜いてきた。コロナ時代を生きぬいて、新しい自分へバ-ジョンアップしよう。