スタ-トから一月、「場を清め、時を守り、礼を正す」があたりまえになってきた日常、生徒たちの今を評価して、基準をあげることが大切です。建学の精神「勤労を愛す」には、額に汗してという説明か使われています。それは、ただ作業をしているのでなく、清掃をしているということだと思います。ひたむきに清掃するとはどういうことなのでしょうか。
仏陀の弟子で、一番頭が悪く、愚かだといわれた周利槃特(しゅりはんどく)という人の話をします。
他の弟子達からバカにされ、自分の名前すらときどき忘れてしまう愚かさにあきれた彼は、弟子をやめようと仏陀のもとを訪れます。「私はあまりに愚かなので、もうここにはいられません」その時、仏陀はこう言います。「自分を愚かだと知っている者は愚かではない」すっかり弟子をやめようと思っていた槃特は一瞬キョトンとします。そして、仏陀はこう続けます。「おまえの一番大好きなことはなんだね?」槃特は、「はい、私はそうじが好きです」と答えました。
「そうか、おまえは多くのことを憶えられないようだから、その大好きなそうじをしながら、このように唱えるがよい」「塵を払い、垢を除かん」(ちりをはらい、あかをのぞかん)「はい、それなら、私にもできそうです!」「そうか、ではがんばるのだよ・・・」仏陀にそういわれて、嬉しくなった槃特は、たまに忘れそうになりながらも、「塵を払わん、垢を除かん」と唱えながら、箒をもってそうじをしていきます。一年、二年、五年、十年、二十年と、ひたすらにやっていきます。その姿勢に、始めはバカにしていた他の弟子達も、次第に彼に一目を置くようになります。やがては、仏陀からいわれたことを、ただ黙々と、直向きに、淡々とやり続けるその姿に、槃特を心から尊敬するようになりました。そして、ついに槃特は、反省修行をおこなって、心の汚れや曇りを落とし、第一段階の悟りを得る「阿羅漢(アラカン)」の境地に到達します。
ある日、釈尊は、大衆を前にこう言いました。「悟りを開くということは、なにもたくさん覚えることでは決してない。たとえわずかなことでも、徹底して行うことが大切なのだ。」「見よ。周利槃特は箒で掃除することに徹底して、ついに悟りを開いたではないか!・・・」
今年の学園のテ-マ「貫き極めろ」は「ひたすら」「ひたむき」というイメ-ジがあります。生徒一人一人にも「何を貫き、何を極めろ」をぜひ聞いてみたいものです。