学ぶ力を高めるには、体験させることである。だから、「為すことによって学ぶ」という特別活動の必要性は大きい。学年が上がると、朝夕の会から専門部会、中央委員会、生徒総会といずれも、生徒が司会進行する。これは一朝一夕にできるものではない。生徒にやらせてみるところがみそである。初めての司会は先生の作ったプリントにもとづくが、次第にうまくなっていく。他の生徒の協力や応援があるとさらにうまくいく。プリントから離れ、司会者とメンバ-はいっしょに成長していく。生徒会の役職を体験した生徒は、学力に関係なく社会に出てからずいぶんと活躍している。同窓会でその理由を聞くと、きまって生徒会での体験を語る。そして、苦労して意見をまとめた司会者での経験を語る。体験から学ぶ力は、将来の伸びにつながっているようだ。体験の場数を増やすことは学びの力をよい意味で刺激する。特別活動は、イノベ-タ-やファシリテ-タ-を求めるこれからの時代にこそ必要なものである。
附属中学校では文化祭、体育祭の取組での生徒の自由度が高かった。生徒たちが任された行事を自分たちで作り上げる。学級でテーマを決める話合いから盛り上がり、学級としての取組の目標も高く設定された。当然、生徒の負担は大きかったと思う。それにひるまず、考え、工夫して、成し遂げた後の成長には目をみはるものがあった。将来、身に着けてほしい力をこういう機会に獲得するのかもしれない。アーティストになるきっかけは?というインタビユ-に「中学校時代に舞台に立てたから」というのをテレビなどで聞く。舞台に立つだけでなく、裏方に関われば、監督やデザイナ-になるのだろう。案外、きっかけもここにあるのかもしれない。 こう考えると、現代の生徒たちに必要な力は「自己変革のできる力」である。脱皮をくりかえす力だ。ご存知のとおり完全変態の蝶はいもむしと呼ばれるカタチから脱皮を繰り返し、さなぎとなり、羽をもち、空を飛ぶ存在へと変わる。驚くべき変化である。その過程でさなぎになるのだが、その間に体はどうなっているのだろう。まったく別物になるのでどろどろに溶けているのでは?と疑ってしまう。バッタは同じ形で大きくなり、羽が伸びて飛ぶぐらいだから、蝶ほどは驚かない。ところが、足や触覚がなくなったりしても脱皮の時に修復されると聞く。これはこれで驚きである。昆虫モデルを人にあてはめるのは乱暴だが、今までを否定して新しい自分になろうとする行為はこの脱皮によく似ている。「えびがめでたい」のはこの脱皮を繰り返して成長するからである。ひろみGOの言葉に「昨日の自分に比べると、今が一番若い」がある。昨日までの自分を否定できるから、今が一番若いと言いきれるのだろうか。見た目は変わらないとしても、実存の飛躍という言葉どおり、まさに人間としての存在自体が変化しているにかもしれない。