「縦の糸はあなた、横の糸はわたし 織りなす糸は…」と歌われている「糸」さて、あなたと私は価値観や生活経験がかなり違うはずだが、簡単に織りなすことができるのだろうか?そして、織りなすためには何が必要なのだろうか。
学級経営は「ル-ル」と「つながり」で言われることが多い。これは学校経営でも同じで、校長はル-ルとつながりで、学校を作り上げあげなければならない。命令系統は縦でなくては混乱するし、ル-ルが人それぞれの都合の良い解釈でも困る。ルールはだれが考えても客観性があり、納得できるものでありたい。しかし、横糸に当たる人間同士のつながりはル-ル以上に大切にしないといけない。一日の大半を過ごす学校という生活空間で、生徒であれ、教師であれ、だれの世話にもならず自分一人だけ生きていくことはありえない。
「糸」は、友人の結婚式のために作られたと聞くと、納得できる。この主題は価値観が違う二人が協力すると、作り上げられる物に包容力が宿るという意味ととらえられる。互いのル-ルを尊重し、守り、相手を思いやるというつながりをもてば、すばらしい家庭になると考えられる。だから、そこにいるだけではダメで、「それなりの努力しない」といけないのである。たとえ、どんなにロマンチックにスタ-トしても、お互いの価値観を理解しようと努力しなければ継続は難しい。協力というより、もう一歩進んで作り上げるイメ-ジだ。お手本はないが、二人の努力があればきっとすばらしい家庭ができるだろう。だからこそ「織りなす」を方法論としている。中島さんの結婚観と言ってもよい。
学級や学校の話で「糸」をとりあげると、つながりをどう作り出すかだ。まずは課題とのつながりがないと意欲はわき出さない。自分のものと考えて、課題と対峙する。教師も共通基盤や課題解決を工夫する。そして、自分なりの考えをもてると、課題とのつながりができてくる。次に友人とのつながりだ。学びの楽しさは、友人との意見交流にある。人はいっしょに学ぶのがうれしい。社会生活が協働で成り立っているように…。最後に自分とのつながりである。ここでは学んだ意味、や価値を自覚するべきだ。例えると、織りなすものが人を温めたり、慰めたりできるに違いないというイメ-ジの共感である。 糸には「ル-ル」のイメ-ジもある。しつけ糸は、布を縫う際に仮にとめる役目がある。本縫いで着物が完成すれば、跡形もなく、抜き去られる。それは、人間をきちんと育てるイメ-ジの「躾」と同じで、幼くわからない時分にだけ必要なものだ。ル-ルがないと学校は維持できなくなる。その意味でも、よいものを織りなすためにはお互いル-ルを守った上で、新たなつながりを作り出す作業となるだろう。今までの織物よりも素晴らしいものを作るにはどうするのかという問いの継続だ。答えは分かっている。当たり前だが、この2つは絶対に手を抜かないことだ。