コロナのおかけで見えないものが見えるようになった。テレビでよく取り上げられる飲食業界の話は実に興味深い。コロナ渦でいろいろな食材のだぶつきが問題となっている。何気なく食べるものには多くの人の手がかかっていることはみんなご存じだ。しかし、今回は実感した人も多かったはずだ。
例年並の需要があると考えて生産したものの、コロナのあおりで食堂、飲み屋、ホテルなどが閉まり、消費はみるみる滞ってしまう。苦労して生産されたものは行き場を失う。時間が経つと、ものを運ぶ人の流れまでもが止まり、流通しないという悪影響が出てくる。結果、ものがない、必要なときに買えないでは、消費者も買い控えとなり、全体的にものがだぶつく。この代謝の悪い状態が続くと、生産者は守りに入る。生産の調整に入ってしまう。こう考えると、食べ物一つにしてもコロナ後に元にもどるまではかなり時間がかかるだろう。
これまでは、こんなことは見えなかったし、真剣にも考えなかった。今までの世界がよかったのかというと、生産したものをすべて消費したわけでない。ふりかえると、廃棄率は半端なかったはずである。政府広報のテレビCMではないが、おむすび1億個を廃棄していた。これでよかったはずがない。国民がもっともったいない精神を発揮すべきである。コロナ後の社会こそはリサイクルやリユ-スという循環型の社会にしたい。生産したものは確実に消費する。生産したものの行き先を考える。これらを早急に確立すべきである。無駄なものを作らない。作ったものは最後まで使う。コロナのおかけで学んだことだ。
守りの城として知られた熊本城は、壁や畳の下に籠城したら食べられるような素材を活用した。非常時にはまず「食」である。昔の人の知恵に習い、地震や津波への備えと同じように、リサイクル型の社会を形成しておけばこれからの災害に耐えられる。もう一つは心のリサイクルである。人を助けるというつながりをリサイクルしたい。よく考えると「恩送り」である。災害で助けてもらった地域が、ボランティアを送るように協力や共同の場づくりを進めたい。どこのだれかがどこかのだれかを助けられるような仕組みを、「復興税」といわずに、暖かい心のまま届けられたらこんなすばらしいことはない。
感情や心のリサイクルである。恩送りや縁育てを実践して循環させることだ。作り出した輪は消えることがない。そして、多くの人に分け与えられるのも特徴だ。「幸せのバケツ」という絵本はわかりやすくその社会を説明している。 まずは行動しよう。消費期限が迫り、割り引かれているものをコンビニで見つけたら、積極的に購入してその日のうちに食べよう。ペットボトルは確実にリサイクルしよう。小さな行動だが、これがもったいない行動のポイントである。ミスやロスならいいが、レスになるとこまる。みんなで心のある行動をこころがけたい。