ケ-キの8等分は本当に簡単なのか。ケ-キの上には多様なものがのっている。イチゴやリンゴからウエハスやチョコレ-ト、食べられないけどサンタさんやヒ-ロ-人形もある。これらも含めると、8等分はなかなか難しい。
同じように、イコ-ルの左辺と右辺は「同じ」と習ったのだが、やはり1+1=2と2-1=1は同じに見えない。計算すれば同じだろうが、計算しない状態ではまったく別物だ。仏教では、物事の成立は、まず「因」があり、「縁」があり、「果」として定まると説明されている。「縁」とは関わりである。結果はこの縁によって決まる。無数の縁の関わりによって、結果は変わってくる。縁の関わり次第で、まったく、別物になる。「直線に幅はない」とも習ったが、交渉ごとで「よく線を引く」と、人によってはこの線に幅のある人がいる。どこまでよいのか。悪いのか。まるで一休さんの「この橋渡るな」の世界である。幅がないのにはずなのに、端を渡れる直線があるからおもしろい。
数学の数の世界から図形の世界まで、紙にメモらずに頭の中でくるくるとまわすと時間が経つのを忘れる。ある直線に垂直な線を引く時、その直線上に中心をもつ円(無数にかけるが…)の2つが交わる点を結んでできる直線は、ある直線の垂線となる。これを平面でなく立体的に考えると、無数にかける直線は円に見えてくる。実におもしろい。 0という存在も考えれば考えるほどおもしろい。0があるとそこに数字を入れられない。1と10と100と区別ができる。01、001、0001と表す数を創造したら、これは間違うなあ、わかりにくい。だから、小数点かと納得した。10000000000は書くと長いなあ、どうか表現するかと考えるが、0が並びすぎてわかりにくい。だから、指数があるのかと納得した。数学は本当によくできている。いろいろと考えていくと、実におもしろい。数学者は、数の謎を分かりやすく、みんなに語ることのできる人たちだ。しかし、ケ-キカットや端を渡る話ではないが、不確定、数値化ができない要素があると一般化、法則化できない。単純にすれば美しくなる。そこには何も入らないの「0」が数学のすべてを象徴している。さて、頭がさえて眠れない冬の日はふとんの中で考えてみるのも楽しい。立体をカッティングしたり、グラフを書いてみたりと頭の中なら定規もコンパスも、ケシゴムもいらない。ケ-キは難しかったが、リンゴならできる、みかんも大丈夫そうだ。枝豆は数えればOKだが、こんな話を思い出した。「豆を食べたい」と子供たちが母親におねだりしたら、手ですくって、姉と弟の手のひらにのせてくれた。「お姉ちゃんが多い、あんたが多い」とケンカした二人に母親は「数えてごらん」と言った。豆の数はちょうど同じだった。母の愛が数学的にも証明されたこの話の作者は坪井栄さんだったと思う。