昼ごはんを取り上げた番組で見た食品会社のまかないの話である。宮崎出身の若者が今年初めてまかないに取り組む。もちろん、ふるさとメシということでチキン南蛮である。解説は、まかないこそが料理の修行と語り、仕入れから調理、盛り付けまで、120人分という半端ない人数に取り組んでいく様子を紹介する。南蛮の鶏肉は下ごしらえが大切らしい(あのジュ-シさはここにあったのか)。以前のまかないの反省にたち、下ごしらえやソ-スに改良を加えて、今日の献立を作り上げていく。まかないに全力で取り組むことに感心する。そういう場で先輩たちから評価してもらえることもすばらしい。常連さんはそのチャレンジや粗削りの魅力を知るからこそ、まかないメシを注文するのだろう。
さて、教育現場で「まかない」にあたるものは何だろうか。学校では雑務なんて呼ばれるものの中にあるようだ。教師は授業だけが仕事と思われがちだが、学校全体が教育の場と考えると、見る目を養ったり、教室環境を整えたり、保護者と語ったりとムダなものは何一つない。教師の腕をあげるなら、まず、生徒を見る目を鍛えることである。この目には複数の視点が必要だ。デ-タとして見るなら、提出物を忘れない子を把握するより、忘れる子を、その回数を把握しておきたい。また、そのときの表情も把握したい。生徒の褒められて喜ぶときをおぼえておくと、褒めるタイミングもまちがいなくわかるはずだ。
転入者や初任者がまず任される清掃場所は、トイレや焼却炉(もうありません)などである。学校の一番汚い場所を担当すると、その学校のことがよくわかる。「ゴミの分別ができない」、「ゴミを持ってくる時間が遅い」と、学級や作業担当区域の生徒や教師の意識がよくわかる。トイレ掃除も同じだ。「水を流して、はい終わり」の掃除をする生徒たちは、試験の取組も甘い。点数を取れの上げろと言われても、清掃の態度と同じで努力しているはずはない。これらの場所は学校の本音が現れる場所なのである。見る目を鍛える絶好の雑務だ。 修学旅行は学級を幾つかのグル-プに編成して、実施される。それぞれで係が割り振られ、教師にも担当が決まる。なぜか自分はレク係が多かった。この係は企画や進行と雑務そのものであった。会順、マイク位置、生徒の並びと考えることは多い。その上、生徒たちの要望は無理難題、教師のしめつけも厳しく、両者の言い分をうまくまとめるのも一苦労だ。夜の部の本番を盛り上げるために知恵を絞る。この経験は授業、学校行事でも活きるようになるから不思議である。「若いうちの苦労は自分から…」は「まかない」を考えいくうちに少しわかってきた。自分の仕事に何がどう役に立つのかはだれにもわからない。だからこそ、経験は貴重である。与えられた雑務を全力でやってみて損はない。やってみたことはなぜかあとで役に立つことが多い。