きばっど 希望のかけらを集めて 2019.9.18
朝が明けるまで泣きはらした夜も…で始まる「希望のかけら」を覚えていますか。ある世代から上には人気のある今井美樹さんのヒット曲です。あの福山さんも出ていたトレンディドラマの主題歌でした。そのフレ-ズと思いがけなく出会いました。第37回の体育祭のパンフレットの表紙を見たときです。手のひらにすくいあげているものが希望のかけらに見えたのです。若い作者はこの歌を知るはずもありません。
その表紙は両方の手で石か何かをすくいあげています。その手の中に花が一輪、凜と立ち上がっています。すくい上げた石の中に竹刀や優勝カップがあるのは体育祭を意識しているのでしょう。バトンパスの手は送り手と渡し手が描かれ、受け渡しの緊迫感を感じます。純白の鳥は友情の証、手首にしっかりと結ばれたリボンは各団の団結をこめて描かれています。仲間と集った母校育英館への愛情も校章として置かれています。
石のように見える一粒一粒は3年間の思い出、希望のかけらです。手のひらからあふれ出しそうな希望のかけらは、体育祭を経験して積み上げられていくのでしょう。そして、美しい花を支え、栄養となるものに違いありません。手のひらにまで根はのびています。3年間の年月はしっかりと根をはる花を育てました。どこにいこうとこの花はその場所で咲き誇ることでしょう。
この歌詞は「愛する人や友達が励ましてくれる 最後は自分で決めるもの」と人生の生き方を指向します。花が実をつければ、手のひらいっぱいにすくいあげたものをこぼすときが来るのかもしれません。どこにいこうと、同じように希望のかけらを拾い集めて、新しい自分を育てて、人は生きていくのだと思います。最後に自分が決めるのは手を空にするかどうかの決断なのかもしれません。希望のかけらはどこにでもあります。そう信じられるような気がします。
話は変わりますが、教育再生実行会議の第11次の提言にある「飛躍知を生み出すイノベ-タ-」は漢文の素養のあった湯川秀樹や多趣味で知られたロケットの糸川博士など、文系理系の枠をはみ出した発想や創造のできる人材をイメ-ジさせます。心理学や脳科学という「人」を知り、科学する分野では、歌詞の中にあるこのような心の動きさえも考えてみることが大切だと思います。単純ですが、人と人が同調してしまうのはなぜかを科学するわけです。
答えの一つとして、人間の考えることは同じだからです。赤ん坊の成長を観察して、それを教育に結びつけられないかと考えていくと、不思議とあの「エ-ミ-ル」と似た発想になります。昔から使われる表現ですが、「はえば立て、立てば歩けの親心」はこの名著にもあらわれる発達課題をずばりと言い当てた言葉です。そう考えると、私達の日常には希望のかけらも飛躍知のかけらもころがっているようです。