きばっど モアイに学ぶ 2019.8.23
イ-スタ-島には、「モアイは山から歩いて海に行った」との言い伝えがある。どうやって歩いたのだろうと多くの研究者がその不思議な言い伝えを読み解こうとした。この続きは国語の教科書に取り上げられたこともあるので、皆さんもよくご存じだろう。(後半解説)
宮崎県の観光パンフにサンメッセ日南にはモアイ像があると書かれていた。なぜ、宮崎にもモアイがあるのかが長年気になっていた。山から歩いたモアイはいたのだが、どうやって海を渡れたのだろうと疑問に思っていた。今回訪ねてみて分かったが、ここ日南にあるモアイは友情の翼で海を渡るどころか、飛んできたようだ。このモアイ設置の物語には、世界の中で日本人がどう生きていくとよいかのヒントが隠されているようでならない。
さて、モアイが歩いた伝説の話から始めよう。重機のない時代にあれだけの重い石像を山から切り出し、海辺の集落の近くまでどうやって運んだのだろう。最近の研究ではモアイの頭に前、左、右の三方向からロ-プをかけ、本体を左右にゆするようにして運んだらしい。その揺するタイミングと前方向からの引く共同作業でいかにも歩くようにモアイは前方へ移動する。ゆっくりではあるが、確実に前に進んでいく。100名程度の人員でモアイは歩くことができる。つい最近の研究で、研究者たちによってモアイは上手に歩くことが実証された。このような方法で、まちがいなく歩いて集落まで行ったのである。
ところで、モアイが日本にやってきたのはなぜか。それは、イ-スタ-島にあるモアイの修復に日本の建設会社が献身的に関わったことに起因する。その協力的な行為に感謝した島民が世界遺産であるモアイを島外に立てることを認め、ここ日南の地に設置されることになったのである。この日本製モアイは日本国内で特別に彫られたもので、その大きさから7基がすべて重機で抱きかかえられて設置されたようだ。それぞれのモアイに御利益があるというから面白い。モアイ広場に飾られた石版プレ-トには、15体のモアイを立ち上げた日本の修復チ-ムの献身的な活躍への感謝が明記されている。
巨大なモアイを動かす人間の知恵には驚かされる。「人間の知恵は無限大」という言葉がぴったりだ。現代のモアイ設置はさらに大きなボランティアという力が加わった。モアイは太平洋をひとっ飛びした。「奉仕と友情に感謝する」の碑文こそ、日本のこれからのあり方だ。世界中の人、自然のために日本のもっている力を使うべきである。それを評価されたと考えると、青い日南の海をバックに立つ7体のモアイ像は実に美しい。
宮崎の観光地にあるさまざまな像、平和台公園の「八紘一宇」の塔に鎮座する4体の石像、はにわ公園にある武将や文官、庶民等のさまざま埴輪、そして、モアイ、それぞれ、人間の願いが作り上げたものである。それぞれにドラマがある。人間が幸せに生きたいと考えれば、それは人のために生きることである。私たちはどう世の中と関わるべきなのかの問いに対しての答えにある。人を慈しむ心をもち、生きるために知恵を出し合えば、人生を楽しく生きることができる。そう行動できれば、日本は世界で唯一の存在になり得るだろうし、日本人も世界の人から頼られる唯一の存在となり得るだろう。ここまできておやじギャグで悪いと思うが、だれにで「も愛」だ。