きばっど ディ-プラ-ニングによるAI育て 2019.8.15
最近どこにでもある(いる)AIだが、その学び方は過去のデ-タの蓄積である。過去のデ-タを学ぶことでどんどん頭がよくなる。まさに過去問を解きまくる受験生と同じである。将棋や囲碁の世界で名人がAIに負かされる秘密はこのあたりにある。過去の対局の棋譜を記憶して、その中から現在の状況に似たものを探して、自分の手を決めて勝負するわけだ。未来への道筋が書かれたシナリオをもっているようなものだ。これらのAIを作り出した人も「なぜ勝てるようになったか」が分からないという。結果として名人に勝つわけだが、これがAIにとって正解なのである。「勝つ」という目的達成がなされるとそれでよい。しかし、人間ではそんなにうまくいかない。最終目的が人それぞれだからである。「この試合に勝った」の先にある未来は本人次第であるからだ。勝ったことで有頂天になり、研鑽をおこたり、スランプになり、勝てない試合が続き、引退してしまうというシナリオもあり得る。また、勝てなかったことで、発憤してがんばり、名人と呼ばれるまで成長するというシナリオもある。試合の勝ち負けが人生のシナリオを書き換えてしまう。もちろん、本人の努力次第だが。
このことから考えると、AIは幸せになれないだろう。たぶん過去のデ-タをもとに幸せになるような選択をするだろう。幸せはその人個々のもので後にも先にもその人のものである。つまり、いくら探しても過去に正解がなく、結局は未来に正解があるのだ。未来の確定はAIの限界だと考えてよいだろう。
万能でなんでもできる存在のモデルとして、「アラジン」のジ-ニ-を登場させ考えてみたい。願いを何でもかなえてしまう魔法のランプの精ジ-ニ-には自分自身をランプから解放することはできないという制約がある。この点がAIの限界を連想させるので実におもしろい。依頼者の願いから抜け出せないのである。アラジンでは最後に魔法の呪縛から彼を解放するところで話は終わる。魔法のランプにすむ魔神にも似たAIを育て始めた我々は気をつけないといけない。世界中にいるAIにどんな過去のデ-タを学ばせるのか、実生活でどんな役割を与えていくのか。補助的な役割を与えているうちはまだよい。大事な局面をすべて任せるのはやめた方がよい。過去の膨大な事例に基づいての判断だからまちがいは少ないだろう。しかし、人は未来に生きる存在であるかぎり、どんな結果になれ、最後は人が選択するべきである。
AIはそのうち感情も手にするだろう。計算できないものに対するエラ-を「恐怖」に、求める解決を見つけ、それを共有できた感情を「喜び」と感じるようになっていく。感情までも手にした彼らとどうつきあうのか、生命とはなにか、人間とは何かをいやでも突き詰められる時が来る。感情がないと思っていた多くの存在にそれがあるとしたら、「いのち」の定義自体も変わりそうだ。