きばっど オンザスボット 2019.6.7
日本語に訳すと、「時の人」という表現らしい。読んでそのまま、スポットライトをあてるということを考えてみたい。演劇の一場面でこの人物が中心ということはだれでもわかる。そこにわざわざスポットをあてるという考え方もあるだろう。主役だからこそスポットライトをどこからあてるのかと考えてはどうだろうか。どんな光にするかも考えてみよう。演劇の話ではあるが、授業に置き換えると、どれもが自分をブレゼンする能力の話になる。
顔を輝かせるために、表面に光を意識した加工がなされている阿弥陀如来の仏像があるという話に驚いた。神々しさを表す光が本体にさりげなく準備される。その技法を現代によみがえらせようと、ある仏師のチャレンジする姿をテレビが放映していた。この挑戦には頭が下がる思いだ。客観的に見る立場であるが、それがどれほど難しい技かも驚いた。その話は後に述べたい。昔の人はなんとうまくスポットをあてたのだろう。
画期的な光をデザインする考えがそこに存在している。仏像自体は金箔に覆われて光っているように見える。それだけではない。仏像の表面にほどこされたミリ単位の技に秘密がある。よほど注意深く見ないとわからない。それは放射線状に描かれた文様と亀の甲羅を模した文様の組み合わせからできている。お顔の下の衣紋(衣服のひだ)表面にびっしりとこの文様が描かれる。そこに光が存在する。わずかな室内の光があれば、この文様の作用でお顔が輝いてくる。主役に自然と光をあてていく。実によくできた仕組だ。
自分をプロデュ-スするにはスポットライトをどうあてるかが重要だ。それを考えるヒントになる。光はわずかなものを増大させる方法で確保するのがよい。教師が自分自身にスポットをあてる瞬間が授業では大事だ。今までの話合いから課題解決へ向けて高める技を身につけたいものだ。教師にスポットが当たる瞬間だ。強い光にならなくても、お顔が輝く阿弥陀様といっしょでそれ自体に輝く工夫があればよい。日頃から生徒たちとの信頼関係を築く努力をするなど、教師の人間性に他ならない。
光をデザインするのと自分をデザインするのは似ているようだ。授業の重要な場面で、教師が出てくる。そして、新しい展開が授業をゆさぶる。発見と驚きがある。その期待が学習をおもしろくする。教師は発問をして、生徒にスポットライトをあてる。そうしながら自分が輝く時を待つ。生徒たちから光が発せられる瞬間をまつ。教師からの光を待つのでなく、自分から輝きだしたらしめたものだ。
時の人も光がなくなると忘れ去られるが、先生は生徒の記憶の中で輝き続ける存在だ。やはりプレゼン力の違いなのだろうか。先生の輝きは‥