きばっど 一人にこだわる 2019.4.5
私学の生命線は募集である。募集がうまくいかないと教師としての職を保障できないことになる。生徒なしでは、授業はもちろん学校は成り立たない。厳密にいうと教育環境が整わなくなる。教えるからには最高のものを準備しておきたい。現代社会、教育は鉛筆とノ-トだけではなかなか難しいようだ。
今年の募集の基本姿勢「一人にこだわる」を次のようなフレ-ズにしてみた。「一人でも高校説明、一人から体験入学、そして、一人以上受験、その結果として、一人は入学」である。「そして」から以前の2つに徹底したい。この学校が合う生徒がいる。その生徒を探したい。そのためには、今まで以上に担当の学校に通うことだ。砂金探しがブ-ムになった時期が、日本各地で金鉱脈をあてようとする試みがあった。火山国といわれる日本なら、金の大きさにこだわらなければ、露出した鉱脈の石を削った砂金が多くの川にある。何度も何度も川底から泥や小石を掬って洗うしかない。川に入り、水の中に手を入れて、初めて砂金は採れる。砂金を求めて、他の宝石もみつかりそうだ。「一人にこだわる」で募集をぜひ成功させてほしい。
生徒の満足度を高める話には、生徒目線で考えるというキ-ワ-ドが必要だ。そこでは、教師の姿勢や生徒の態度が問題になる。始まりの時期なので、「初心」という言葉を改めて考えてみたい。これは「初心忘るべからず」でよく耳にする言葉である。しかし、この初心は幾通りかあり、「時々の初心である」と説明される。物事に取り組むときは、その度にすべての人が初心なのである。ある年代で取り組んだものも、10年、20年たつと、初心がよくわからなくなる。そんな時こそ、10年目の初心、20年目の初心で取り組みたいという話だ。まさに、慣れを戒めた言葉でもある。教師が授業になれて、教えてはいけない。同じ内容でも授業を受けている生徒は違う。当然、教え方も工夫しないとならない。明日はまさに違う日なのである。今日の連続でやってはならない。生徒を満足させるでなく、生徒が満足するが本当だ。その意味では教師が満足したってなにも出てこない。
授業の終わりについ、「今日の授業はわかりましたか」と口に出してしまう。「はい」と生徒が答えると不思議と満足する。これがおかしい。先生がわかりましたかと聞いたことにわかったと言うことだ。生徒の自己評価の「わかる」ほどあてにならないものはない。評価したいなら具体的に尋ねることだ。「今日の授業は楽しいでしたか」なら少しはましである。 生徒の学習スタイルを意識した授業をすることが満足度をあげることになるだろう。しかし、教師も人間である。やることは実にたくさんあるので、個別の教材をつくり、個別指導とはいかない。少なくとも教えあう場を作ってはどうだろう。楽しくはきっとなるはずだ。