褒めると叱る
ギリギリダンスの符号・・・---・・・ではないが、褒めると叱るは・や-の位置や割合が違うだけで似ていると考えてしまう。よき人を育てるには、「褒めと叱る」の割合が大事と二宮尊徳さんも行っている。この尊徳さん、なじみ深い名前で言うと、金次郎である。「2つ叱って、3つ褒め、よき人にせよ。」という言葉で知られている、鹿児島なら、「そら、6と4で、よき晩に…」と燗つけ話にすり替わるところだろう。おいしいものはバランスが大事なのだ。
人を育てるのに褒めると叱るのバランスは実に大切である。しかし、褒めて伸ばすとか、褒められて育つとかが、教育学者さんが言うから、世の中に出回りすぎてはいないだろうか。公立中の校長時代に50過ぎた教員に「私は褒められて伸びるタイプなんです」と言われて愕然とした。人はだれしも褒められたいものだが、さすがに人生も半分いっている人だよね、あなたを支える別の観点もあるでしょうが…。叱っているわけではないが、改善やもう少し考えてほしいと語っているのに、ちゃっちゃっと「ほめる」を求めるのかな。あなたに戸惑ってしまう。ましてや、あなたをどう褒めればよいのか、こちらが教えてほしいものだ。昔の校長先生には、1つ褒められたら御の字だった。なかなか厳しい人が多かった。その後、先輩にもさんざん鍛えられ、昭和の頃は2:8ぐらいの辛い指導が普通。「辛れ」なんて恐ろしくて言えるはずもなかった。
職場でもさんざん叱られた。いや怒られた。似た言葉だが中身は全然違う。本人に伸びてほしい、しっかりしてほしいの「叱る」なら本人への響きも違う。自分の立場や感情のおもむくままに怒られたのではたまらない。トラウマやショックも残る。まあ、家庭でも父親が厳しかったりする時代だったので、それなりの耐性はあった。反面教師だと思い、自分だけは絶対に後輩を「怒る」はやめようと思った。きちんと部下を叱るのは上司の仕事、同じように、生徒をきちんと叱るのが先生の仕事だ。「叱る」は「怒る」よりずっと難しい。
褒めるのも叱るのも体力がいる。褒めるためにはいい所を探す。毎日、よく生徒を見て、初めていい褒め方ができる。よく叱るためにも毎日よく見ておきたい。そして、直すところをどう直すかをアドバイスしたい。具体的であると、取り組みやすい。「2つ叱って」はどう直すかまで考えて叱ること。そう考えると、この2つ叱りは褒めよりずっと難しいものとなる、アドバイスの仕方も個々に工夫する必要がある。絶対に「角を矯めて牛を殺す」であっては成らない。叱るときに、許す場面も必要、言い訳を聞きながら、理を説く場面も必要。それでも、牛が死んだら元も子もない。角を矯めるのはほどほどにしたい。期待して叱るし、信じて褒める。叱るも褒めるも生徒を育てる大事な技である。「よき人とする」ために、バランスを重視したこれらの技を日々磨いていきたい。