八犬伝 お見事
歴史好きにはしびれる映画だった。南総里見八犬伝と言えば、戯作ナンバ-ワンである。その分量、内容はもちろん、当時の人々の人気のほどが想像できる。内容を思い出すと今でもおもしろい。今回の映画は物語の方は実に色鮮やか、VFXもふんだんに使われて作られていた。まるでモノクロのようなもう一つの話が平行されて作られている。八犬伝の舞台裏という感じで、馬琴と北斎の掛け合いを使って、史実のように馬琴の創作意図や時代の移り変わりを描く。まるで、光と影、実と虚の話、つまり、2本分を一つにした映画だった。
八剣士と伏姫の関係、物語の始まりが実にうまく描かれていた。スピ-ド感あり、わかりやすい。時代設定や話の筋はありがちなものだが、里見家の窮乏を救うのが、人の言葉を解する犬というのがおもしろい。馬琴の価値観なのかは分からないが、狐や狸が人を化かすに対し、犬は人のためにつくすがあるようだ。戯作を面白くする観点から、怪異や怨霊のスパイスは必要だろうが、犬の活躍がここまでくると馬琴は「犬好き」にまちがないと思ってしまう。
ここで重要なのは里見の殿様の一言である。八房という犬に「敵の大将の首をもって来たら姫を嫁にやる」と言い、悪女玉梓にはその言い分を受け止めて「一度は命を助ける」と言う。この発言後、家来の指摘を受け、言葉を取り消して成敗すると、怨霊になってしまう。これらの言葉が因果のタネである。ここにも馬琴の価値観(約束を守らないことが大きな罪)が見え隠れする。
玉梓が怨霊となるシ-ンも実に見事に描かれていた。孫、子の代まで祟るというあの怖さは半端ない。斬り殺されたが、姿形は残らず、怨念の炎となって夜空に消えていく。玉梓が怖ければ怖いほどおもしろいと考えた馬琴さんはお見事である。玉梓が悪、そして、八剣士が善の構図ができあがる。悪が強ければ強いほど話はおもしろくなるものだ。しかも、怨霊だから自由自在に悪事を働く。権力者に取り付き、その欲望を増大させ、里見家に害をなす。美しさと怖さが同居する玉梓、現実の世界にも存在すると言わんばかりの描き方だ。インパクト大の勧善懲悪の作品と言われるゆえんだろう。実にわかりやすい。話の中ではサラリ感が強いが、もう一人のヒロイン浜路は、玉梓の差し金で鷲にさらわれて行方不明の里見の姫なのである。実際の話は少しややこしいので、今回も犬塚信乃の彼女?の位置づけである。八剣士が揃い、姫も無事に帰ってきて、いよいよ決戦へ。怨霊との対決の日も近い。後は映画館でどうぞ(笑い)
なぜ2つの話を合体させて映画を作ったのか。虚とは?実とは?これは作品作りの永遠の課題である。考えさせられる部分が多く、いろいろと調べてみたいし、書いてみたい。すばらしい戯作作家、馬琴でも現実世界はどうにもならないし、みっともないと描いてある。どちらが本当か?「はて」と言いたい。「お見事な映画」である。