まねしんごろ
鹿児島弁では、人マネをする人を「まねしんごろ」と卑下する傾向がある。また、「男は3年に一度笑う」と笑顔も否定する。マネは「学ぶ」だし、笑いは「ユ-モア」だと考えると、授業の中ではどちらも大切な要素である。この時期はあちこちで研究会が開催され、授業を参観する機会も多い。マネも笑いも意識して見つけて、自分の授業にも活かしてみたいものだ。
若い頃は研究授業を参観すると、すぐに魅せられて、自分もやってみようともらった指導案通りにやっては失敗した。教師、生徒も違うから、当然うまくできるはずもない。おかげで公開授業に行く時は、何が使えるの?と考えるようになった。よく見ると、明日から使えるものはいくつもある。教師の行動では、説明の語り方、生徒指名やKR、板書構造化を図るファシリテイトなど、生徒で言うと、教科学習のしつけやノ-トの記入などがある。授業の様子から、教材研究の仕方やどんな教え方が効果的?の問題提起等も意識するようになる。資料をもらえると、どんな教材研究をしたのかと考えるチャンスになる。まあ、宝の山である。見たからにはマネしたくなる。若い頃の「まねしんごろ」は随分と無謀だった。分かったつもりで、表面だけのマネはかなり危険だった。
授業で見えるのは氷山の一角で、作り上げるまでの膨大な時間が裏にあることも事実だと感じるようになった。そのころから、授業で取り上げられる同じ教材を研究して参加するように心がけた。授業者に負けない教材研究をする、研究紀要を読み込んでおく。不思議と見えてくるものが違ってきた。授業のつぼがわかる感じだった。今日の授業をするために自分ならどんな事前準備をするのかと考えると、授業者の意図がわかるようになってくるから不思議だ。
自分化するためには、あれこれとなぞってみるのもよい。書写の練習では、囲い字やなぞり字の練習も効果的である。形を意識するための練習である。形を学ぶのが、上達するのにてっとりばやい。まねしんごろのすすめだ。形をマネたら、次は内容だろう。素晴らしい授業に近づくためには、このようにまずはできるところからまねることだ。マネが自然と本物になるのも不思議だ。
集中力を高めるには、姿勢を正させて語り始めること、話す相手に体がきちんと向いていないのに、話してはダメである。当たり前の話である。授業を上手に進めるには、生徒の実態をよく把握すること、意欲が持続しない。理解力が低い。語りかけや質問も生徒ごとに作り上げたい。正しい評価をしながら必ずほめることを忘れない。努力した点はかねてから見ている担任や担当の先生にかなわない。KRも実に細やかだ。そして、教科の本質を酌んで、匂いのする授業をする。できるところからマネしよう。まねしんごろ授業でも、うまくいけば、楽しくなるし、知的に興奮もする。