そして、巡り逢い
「卒業してからもう三度の春」で歌われる未来予想図だが、45年経つとどうなるのだろうか。「卒業アルバムに並ぶやんちゃな顔」も立派な顔になっている。女子の顔は家庭訪問であった母親にそっくりなんて驚きの連続である。先日、初任校の教え子の還暦記念同窓会に呼ばれた感想だ。
教師の教え子との時間を共有する喜びにまさるものはない。時間は同じように過ぎるが、また、このように交わり流れる時があることがすばらしい。会場を見渡しても、ピチピチ女子中生も真っ黒なバレ-部男子もいない。記憶を辿れば、なぜか親のイメ-ジによって思い出す顔だらけ。過去の時間の中に存在する生徒たちである。随分と遠くへきた感じがする。写真の中にこの生徒たちはいる。間違いなく存在した時間があり、それがないと今はない。現実には60歳の彼らがそこにいる。実に不思議を感じる瞬間である。
飲みながら再会を約束するが、この先はどうなるかはわからない。今日の時間は存在しても明日は分からない。「それじゃまた」の別れがよい。「生徒たちはどうあれ。私は君たちに会えてほんとうによかった。そのお礼と言ってはなんだけど、もうしばらくつきあいますよ。」といったところだ。先に生きることを生徒に教えたいと思う。教師がその姿で教える最後の教育なのだろうか。
そのころ年の近い男の先輩も83歳、声も大きく元気であった。「ああ人生に涙あり」を舞台上で歌われた。急にふられた私は「そしてめぐりあい」「幸せな結末」「南国情話」と一口ずつ歌いながらジョ-ク連発。養護教諭の先生に「かずよりちゃん 元気ね」とからかわれて、気恥ずかしい思いを感じた。タイムスリップ効果で、この時間にずいぶんと若くなった。時間は巻き戻しができないとわかっているのに気持ちの上で巻き戻せる貴重な瞬間なのかも知れない。
「還暦おめでとう あと10年は私みたいにやれるよ その時間をどう使うのかそれは君たちが決めることだよ」と照れくさそうにつぶやいてみた。
場所を移して、指宿駅前の温泉まつりで踊ることになった。飲み過ぎた焼酎のおかげで足下はふらつき、実に上手に踊れた…。昭和53年4月に赴任して3年間、この揖宿の町でいろいろなことがあった。今、踊る場所も温泉祭り補導で回ったり、家庭訪問で尋ねたりと何度となく、足を運んだところだ。踊り連が次々と自慢の踊りを披露する中で、30期卒業生の踊り連もにぎやかに進んでいく。「先生、若い。元気ですね。」「景気づけの焼酎、飲んで。」と乗せられて2時間余りも踊っていた。
昔と変わらない夏と秋の行き会いの空が懐かしい。夕日があたりを赤く染めて、今日一日が終わっていく。次の「そして、巡り逢い」を楽しみに菜の花号がとまるホ-ムに駆け込んだ。