「~きる」を考えると
物には寿命がある。その寿命を「使い切る」ことが物を大切にすることだと教わった。「始末」の本来の使い方である。価値観の変化に基づき、製品は次々と生み出される。必要な機能が備わり、壊れない限り、使用可能である。簡単に捨ててはいけない。そこで、この「使い切る」ためのメンテナンスが必要なのだ。職人さんは自分の使う道具を大切に、せっせと手入れする。ものを使い切るための儀式を毎日しているようなものだ。このように物事には「始末」が欠かせない。この言葉に含まれる「~きる」の使い方やその意味を考えてみた。
さて、「勝ちきる」は、サッカ-でよく使われる言葉と聞いていた。最近ではサッカー以外でも耳にすることが増えた。調べてみると、元々は囲碁用語で、「特定の状況でリードを保ちながら勝つ」らしい。具体的には、勝っている、勝てそうでも、実際に勝つまでなかなか大変、その上、そのリードを保って勝つことを意味しているようだ。かなり、気合いの入った勝ち方である。この表現どおりとすれば、よく使われる「勝つ」とはかなり異なるニュアンスがある。
さまざまな意味がある複合動詞「~切る」は、「はっきり言い切った」「思い切って行う」のように、終了意識や行き着く所まで達したという強調意識を表す。その中で「勝ちきる」では、行為者の予定通りに(質・量ともに)完全に勝つことを意味する。とすれば、完遂(完了)の意味が一番しっくりする。まさに完全勝利の「勝ちきる」なのだ。
サッカ-用語と思ってしまうのは、試合の途中まで勝っている場合に「このまま勝ちきる(切る)ぞ」と使うからだ。この表現は正しい。「切る」には、”完全に、また、最後までその行為をする”という意味があるので、「このまま勝ちきるぞ」は、”このまま勝って終えるぞ”という意味になる。「前半1点のリ-ドを守り抜く」試合は、まさに勝ちきった試合なのだ。
「~きる」の話をくどくどしたが、完遂のイメ-ジは「使い切る」にもあるとすれば、「始末」は簡単に捨てることではない。ものの寿命や特性を見定めて、必要なものを買う。大事に使う。そして、必要な時に使えるようにしておく。まさに、「もったいない」につながる合理的な言葉である。その心は後始末だけに使われていけない。必要なら買うという前始末や必要に応じて使う今始末、不必要なら捨てる、片付けるという後始末、すべてを含んだ「始末」である。始末の意味を改めて、いろいろと考えてみたい。ここまで考えたので、活用させてみよう。五段活用だ。現在の感覚では、「使い切り」と「捨てる」の距離があまりに近いのがとても気になる。真に使い切るために、「使い切れ」を徹底したい。使えるのに残したままで捨てて、使い切った気持ちになっていないだろうか。物を大切に「使い切る」のなら、私たちは「始末」の用法を間違えてはならない。