災害にどう抗うか
日本は災害多発国と呼んでもよい。歴史が文字に残された時代から、噴火、台風、地震の自然災害がよくもまあ次々に起こっている。人々にはたぶん起こって当然という感覚があったのではないだろうか。自然災害を神様のご機嫌を損ねたととらえ、ものがこわれたら直すを当たり前とした。木や紙や土で家をつくるのは、頑丈に作らず、直しやすく作るを基本としたのではないだろうか。「消失やむなし」は、常に準備する文化として日本文化の基礎・基本となった。
CAさんの書かれた本で「予定以外の空港に着陸する」は離陸前に決められているという話を読んでびっくりした。目的地以外を2か所は考えて離陸する。上空での機体トラブルや天候の急変があっても対応は事前に決まっている。これは安全対策の一つではある。教育活動にこの考えを取り入れると、おもしろい。生徒指導や時間超過への対応が事前に準備されるのはよいことである。雨天予想の体育祭プログラムは、準備と臨機応変でこの考え方とよく似ている。
夏休みのお盆前後は「南海トラフ」というワードがいろいろな話題を呼んだ。2l水ボトルがスーパ-からすぐになくなった。お上の言われることにすぐに反応する日本人の特性がよくわかる。しかし、防災への意識が高まったのはいいことだ。熱しやすく冷めやすいにしてはならない大切な話だ。100年周期というとなかなかピンとこないが、そろそろ危ないことは間違いない。自然災害が都合よくやってくることはまずない。正月だろうが、お盆だろうが、そんなの関係ない。運悪く発生した時、土地勘があり、知人もいる場所ならよいが、進学した町であったり、大会参加への移動中だったりとしたらどうだろうか。その時、どこにいるかを考えた準備こそ必要だ。つまり、いろいろな場所を想定した防災訓練を体験すべきだ。今こそ「治に居て乱を忘れず」である。
以前勤務した山村の中学校で「いちご観音様」を建立したいと言ったら、職員から校長は変だと言われた。「妙園寺詣りも災害対策ですね」といったら、市役所から「観光対策です」と言われた。これらには私なりの思いがある。桜島が爆発した大正時代に伊集院まで徒歩で避難した話を聞いた。桜島爆発は津波や噴火物による大きな被害を生み出した。鹿児島市内でも1メートルを超える降灰があった。伊集院への避難を考えると、水上坂を上り、武岡台地を抜け、清掃工場のある横井を通過するコ-スが主となるだろう。まさに妙円寺詣りのコ-スだ。毎年、休憩所、給水所をコ-ス上に設置するのは、立派な予行演習だ。チェスト館には大規模な避難所を設置していいだろう。もう一つは、「ここまで来たら…」の安心の目印になるいちご観音である。土橋はいちご産地、それに一期一会をかけたマイルストンである。この観音様は3号線からも横井線からも見ることができ、その台座には避難グッズも備蓄してある。おかしな話をして防災意識を高めるのも一興だ。