他のために生きるを知る
社会福祉協議会での講演を引き受けたことで、ボランティアについていろいろと調べてみる機会をもらった。新しい発見にいくつも出会った。その一つが「ボラ精神に気づくチャンスはいろいろな所にある」である。「マリア様 いやなことは喜んで」というこのフレ-ズは皆さんもよくご存じだろうが、実はこのフレ-ズこそ、ボランティアとは何かの答えだ。「自分ならこうします」の決意表明ではないだろうか。
それではどんな問いを投げかけられているのか。たぶん、「あなたは他人の幸せのためにどんな事でも喜んでやらなければなりません。あなたは、それが汚く、つらく、大変な仕事でもできますか。」という内容だろう。そう聞かれたら、ふつうの人は、「わかりませんが、できるように努力します。」と答える。「できそうにない」と答えた人に、その度に「できますか?」とくりかえし聞かれるに違いない。このくりかえしがポイントだ。「仕事をしなさい」ではなく、「できますか?」と疑問形である。なぜ、こう問いかけるのかを考えた。「思い」は見えないけれど、「思いやり」は見えるというフレ-ズが鍵である。行動化を教えてくださっていると気づかなければならない。行動する内容はそれぞれだが、とにかく行動することだ。だから、「できます」と言わず、ただ「よろこんで」と答える。これこそが、思いを思いやりにかえる秘密なのだ。「できます、よろこんで」には、まさにボラ精神があふれている。
ボランティアは「思い」を「思いやり」にかえること、それは行動であることが重要だ。他の人のために生きることが人として最高の生き方であると、人々に気づいてほしい。できないことを責めたり、さげすんだりはしていない。ボラの精神に気づかないことはあなた自身の損失だと考えている。何度かの問答や体験の中で、人は自然とそのことに気づいていく。もちろん、ボランティア体験をくりかえすでも同じように感じる。だから、この言葉も菩薩行や陰徳に共通する世界観に通じる、ボランティア精神に関わる言葉だと思う。
社会福祉協議会に関わる「共助、互助」の世界では、箸地獄極楽にあるように、長い箸でお互いの食事を提供することをめざす。この逸話ではみんなの気づきの力が、地獄を極楽に変えていく。一人では食べられないが、力をあわせると腹いっぱい食べられるし、それが幸せにつながっている。一人のこまり感はみんなで解決していこうとすれば、ボラ精神である。「働く」の語源「はたの人を楽にする」という実に明快な行動理論である。ボランティアは日本人にはなじみある考え方だから、陰徳や菩薩業のつもりでやればよい。そして、「よろこんで」を自然と言えるようになりたいものだ。しばらくは、マリア様を含めたいろんな方に決意表明はすることにしよう。